CMLLが珍しくガルサに関するツイートをしていて、それが220件以上もRTされていて、これはエライことが起きたと覚悟しました。
以下はLuchablogから。
「エクトール・ガルサ、本名エクトール・ソラノ・セグラが肺がんのために亡くなった。43歳だった。
ガルサは父の後を継ぎ、モンテレイで地方のスターとしてキャリアをスタートさせた。
1994年、CMLLに若きニュー・スターとして登場、AAAにルチャドールが流出した後の大きな穴を埋めようとした。
エクトールはメヒコのすべての需要なプロモーションでトップ選手となった:1997年にAAA、それからプロモ・アステカ、一時的にCMLLに戻り、AAAで長く成功を収めた。
2004年、突然CMLLに戻り、旧友のペロ・アグアヨJr.とタッグを組み、ぺロス・デル・マールを作った。たぶんこれが彼の最大のキャリアだろう。
最終的にはアグアヨと別れたが、CMLLに残って影響力のある選手となった。
2011年にもう1度AAAに戻り、がんが発見されるまでそこで活躍し続けた。
メヒコ以外でもガルサはWCWで働くルチャドールの一員となった、AAAに戻ってからはWWEのロイヤル・ランブルにも登場した。そしてTNAでも限定出場した。ガルサはどこででも活躍した。
彼はまた若いルチャドールにも明らかに影響を与えた。CMLLで彼らの多くは特にはっきりと彼に合わせていた。
エクトールは妻と2人の子供を遺して逝ってしまった」
こちらはシン・カラ君がアップした写真。
「とても悲しい。ルチャ・リブレはとても偉大な代表的存在の1人を失った。
安らかに眠って欲しい、エクトール・ガルサ。
君がいなくなって寂しいよ」
この写真は今タマ・トンガとテリブレが持っているCMLLタッグ王座を、ガルサとミスティコ君がアレナ・プエブラで取った時のものです。
2008年3月にアベルノとメフィストに勝って手に入れたのですが、なんでまたプエブラで??と不思議に思ってたらコミッショナーにカンペオナートの申請するのを忘れてて一旦アベルノたちに返却して再度5月のビッグマッチでカンペオナートしてゲットしたという、なかなかややこしい事がありました。
アルベルトさんも偉大な友達が亡くなった、とツイートしてますね。
最後に皆の前に登場したのは去年の10月になるのかしら。
今から思うと足元がおぼつかない感じがします。
10月の半ばにペロスから発表があって、今年の4月には支援興業 が行われたのですが…。
ペリートとカベジェラ戦、という夢だけを残して去って行ってしまいました。
ただただ寂しい。
CMLLからペロスに来たのが遠い昔のことみたい。2011年の11月ですね、CMLLでテクニコになるのは本望じゃなかった、ホームに戻りたくて最近は心ここにあらずだった、なんて地元のラジオ番組で言ってて。ペロスからルチャに本格的に入った私としては大歓喜だったんですよ。
移籍発表後はペロスのシャツ着てCMLLの試合に出たりしてたし。案の定AAAのTVテーピングでペリートがボコられてるの助けに来るサプライズ登場だったし(CMLLに移籍した時もそうだった この写真がそうらしい→)
結局CMLLの時みたいにまた喧嘩別れしちゃったけど(AAAでもそうだったっけ?)、共闘じゃなくて対戦したい相手だったのかな。
現地では29日に葬儀が行われるということです。