チョロちゃんが小学5年生になる時に担任の先生が異動になりました。
新しい担任に!と、予め前校長先生が決めてくれていたのは4年生の時に担任だった先生でしたが、新しく来た校長が勝手に変えてしまいその年に異動して来た定年間際のやる気のない人~特別支援学級の担任は児童も少なくラクだろうという理由で強く希望して押し通した~になってしまいました
それまで培ってきた良い習慣はことごとく覆され、教室で遊ぶことがメインのどうしようもない状況だったので、殆どの時間を交流学級で過ごすことになりました。
こちらの担任は明るい先生で、いい意味でチョロちゃんのことを特別扱いせず厳しく指導してくれたので、返って他の子ども達が「それはチョロちゃんじゃない」とか「チョロちゃんは悪くない」など状況に応じて代わりに説明してくれるようになったそうです。
先生はそれも嬉しかったです。と教えてくれました。
小学校の6年間でこの年の一年間が一番交流学級で過ごし、頑張れた一年だったと思います。
この先生は1年毎に契約を更新する講師だったので、一年で異動になりました😢
この頃のチョロちゃんは一番他害が酷かった頃で、ちょっかいを出されたりしたら直ぐに反応して大事になっていました。
6年生の交流学級の先生は今一つピンとこない感じで(どの子に対しても)、特別支援学級の先生はありのまま系の先生でした。
丁度この頃、初めて栗本啓司先生の個人指導を受けて、チョロちゃんが睡眠障害だった理由やその対処方法を教えて頂きました。
そういう事をキチンと説明してくれて、その対処方法まで教えてくれる人に初めて会ったのでとっても驚いたし、
身体を知っている人。
の知見に感動しました🥺
やはり直接会って触れて貰ったからこそのコンディショニング。
わたしはそこに拘っています。
この時に金魚体操も初めて本物のお手本を見ました。
それまでは単に手先だけでブンブン振っていただけだったと思い知りました💦
前に書きそびれましたが、小学中学年位までは事業者に移動支援をお願いして、家族以外の人に見守ってもらいながら一人で電車やバスに乗る練習もしました。
夏休みに長期に帰省した時にはSuicaを使ってあちこちに行ったり、わたしの友達の個展にも行きました。
ある時はショッピングモールでわたし達とは違うお店に一人で入って注文して食事をする。…という経験もしました。
こうやって徐々にですが一人でできることを増やしていきました。
将来自立した大人になって欲しい。
と思っていますが、その中には当然ですが身辺自立が含まれます。
朝起きてご飯を食べて、歯を磨いて顔を洗って学校に行って帰って来て宿題をして、夕食を食べてお風呂に入って…という当たり前の生活。
入浴は毎日しますから、当たり前ですが入浴前に脱いだ服は洗濯機に入れるとか、着替えるためには自分の服がどこのあるか?の管理も必要です。
そういう当たり前と思える事が疎かになると困るのは子ども自身。
自分の服がどこにあるか?
着替えるもの自分で出せるか?
一人で入浴できるか?
こういう事は知的障害があったとしてもできるようになるそうです。
学校は勉強だけ教えて貰う場所ではありませんが、生活面での自立を学校に期待するのは違うと思っています。
排泄の問題もそうですが、ある程度の年になったらできていて然るべき事は、やはり学校ではなくて家庭でできるようにしておかなくてはいけない…と思っています。
事業者に任せた方が習得し易ければ部分的に専門家に助けて貰う事があったとしても、あくまでも家庭で教えるべき事は親がしっかり教え込み、
年相応にできて当然。の事を人任せにしたり、親が代わりになんでもしてしまう様な過保護はいけませんね。
障害があるのだから。
という事を言い訳にして責任は人任せ、学校任せにしても少しも建設的ではありませんし、子どもにとってメリットもありません。
誰かがしてくれる。
周りの大人が助けてくれる。
が当たり前になって、
自分では何もできない大人。
になって困るのは子ども自身です。
就学までに治るかどうか?
よりも、就学までに排泄の自立ができているか?
の方が優先順位として上でしょう。
治る子は遅かれ早かれ治るでしょう。
年相応にできている。事が(それなりに)できていない。
事の方がよっぽど問題です。
続きます。
凸凹発達の子育てを頑張っているお母さんへ
新しい一日が始まりました
今日も一緒に子育てを楽しみましょう