親に覚悟と主体性が必要だと思う理由 #3 | おしゃべり大好き!自閉っ子 「チョロちゃん日記」  

おしゃべり大好き!自閉っ子 「チョロちゃん日記」  

幼児期に発達障害(神経発達症)と診断された
チョロちゃんの凸凹発達の大変だった育児を
今、楽しんでいるのは、
親子で成長(発達)し続けているからです♪

チョロちゃんが診断されてからしばらくの間、わたし自身の精神的肉体的なダメージは相当あって、落ち込んだりすぐに涙が出てきたりしていました。

そのうえ当時は睡眠障害があったチョロちゃんは昼夜関係なく起きていて元気だったので、わたしの体力が追い付かず、それが理由だったのかわかりませんが、原因不明の高熱が続いて病院の総合診療科で何度も検査を受けました。

 

リウマチ予備軍の可能性があるといわれて大学病院でも検査を受けましたが、特に異常はありませんでした。

 

不調はしばらく続きましたが、その後、いつの間にか治って(検査結果で予備軍だと言われた数値も無くなって)いました。 

その頃と前後して就学活動もしていました。

 

数年前までそうだったはずなのですが、あまりよく思い出せないくらい過去のものとなりつつあります。

 

 

周りのお母さんの中には心療内科に通って処方された薬を飲んでいる人も意外と多かったです。

 

花風社の赤本「自閉っ子、こういう風にできてます!」を読んで、チョロちゃんの本当の大変さの一部を垣間見られたことはわたしにとって良かったです。

それは当初、勘違いや言い間違えかとすら思い込んでいたチョロちゃんの言動や身体のことが分かったからです。

 

その頃、自己治療で聴覚過敏も治していたし、就学前には睡眠障害も親子で楽しく遊んでいて治していたので、かつてあちこちで当然のように言われていた

「治りません!」

も胡散臭く感じつつありました。

 

 

とはいえ、今のチョロちゃんのようにはなっていなかったので、まだ治るということを全面的に確信できていたわけではありませんが、チョロちゃん自身を見ていると、どんどん育っているので、それに比例してわたしも少しずつ元気を取り戻していました。

 

花風社の社長、浅見淳子さんは最初に出会った自閉っ子である

ニキリンコさん、藤家寛子さんが良い子だったから、

せめて身体の大変さだけでも何とかならないのか?

してあげたい!

という想いが強かったそうです。

 

身内のように感じている人にそう思うのは当たり前だと思います。

親であれば尚のこと、

我が子がもっとラクに日常生活を送れるようにしてあげたい!

と思うでしょう。

 

 

そう言うと、今度は、

子どもの障害を受容できない親。

障害のある我が子を愛せない親。

障害者に偏見を持っている。

…と、想像もしていなかった思考(条件付きで愛していると言う思い込み)で、こちらの感情を決めてかかる人達がいました。

 

まるで我が子に治って欲しいと思う事が悪であるかのように…。

 

親に主体性がないと周りの言葉に一喜一憂し、

自分がどう思うか?

ではなくて、

この行動が周りからどう見られる(思われる)か?

ということを考えてしまいがちです。

 

治って欲しい!

というのは本来極自然な感情の筈なのに、そう思うことを否定的に捉えている人達(単に自分達も過去にそう言われて無理に受け入れた経緯があるのかも)の言葉に、

自分は子どものあるがままの姿を愛せない酷い親なのか?

と考えてしまったり、「治って欲しい!」という言葉を口にするのはいけない事のように感じて口をつぐんでしまったりするとしたら生き辛いですね?

 

親が覚悟や主体性を持たないと、そういう周りの言葉に流されて、頑張る事、頑張らせる事が悪であるかのように思えてきて、

叱らないで周りが理解して我慢すれば(周りに我慢させれば)いい。

というような、アドバイス(?)を真に受けてそう育ててしまうでしょう。

 

逆に考えたら、そんな人ばかりが周りにいたら迷惑な話で、明らかに相手がおかしい(間違っている)のに

ウチの子は障害があるのだからあなたが我慢して!

等と言われて続けたら、わたしだったら辟易としますし、

関わりたくないなぁ〜

と思って離れます。

 

自分で考えて行動せずに誰かが言った、

発達障害の子は〜〜だから◯◯しなくては(しては)いけない。

というのを当てはめる方がいい。

 

と思ってそうするのはその人の自由です。

…、がそうやって育てられた子どもが治らない(治さない)まま大人になって、その人はそれでいいのでしょうか?

 

親に主体性がない。という事は子どもの主体性が育たない。という事にもなると思います。

 

よほど確りしたお子さんでない限り(子どもの頃から自分で選んで決められる環境になければ)、

自分で考えて自分で決めてその結果の責任を自分で負う。

という事が当たり前だと思えないでしょう。

 

だから特に凸凹発達をする子どもの親は、覚悟と主体性が必要だと思うのです。

 

わたしは我が子に自分で考えて決められる人になって欲しいと思っています。

 

その為には親であるわたし自身が主体性を持っていないと、それを子どもにだけ持って欲しいと期待できないと考えているのでそうしています。

 

どんな人になって欲しいか?

を早い段階で決めておかないと、大きくなってからでは難しい事もあると思うので…。

 

凸凹育児を頑張っているお母さんへ

 

新しい一日が始まりましたラブラブ

今日も一緒に楽しみながら頑張りましょう音譜