4月になって入学式の前日に顔合わせがありました。
特別支援学級の担任は例のあの担任でした。
交流学級の担任は若い男の先生で明るくて楽しく優しい先生で担任はこの時1年間だけでしたが、チョロちゃんの事を卒業までずっと気にかけてくれていました。
わたしの顔も覚えてくださって、2、3年生になってチョロちゃんの担任ではなくなっても学校で会うと声をかけてくれて、チョロちゃんのことだけでなくいろんな話ができました。
担任の先生はやはり特別支援教育に関しては全くと言っていい程に素人で、かといって新しく学ぼうとか、こちらの要望を取り入れようという前向きな感じも一切なくて、こちらが要求(?)した当たり前と思える
(中学校なのだから)
中学で習うべき勉強を教えて欲しい
という生徒がチョロちゃん以外にはいないという事で、ひとりの生徒のせいで特別待遇(?)を強いられた謂わば被害者であるかの様な感じでした。
交流学級には違う中学校の生徒達もたくさんいて、小学校で一緒だった気心の知れた友達だけとは違う環境になったので、チョロちゃんは戸惑うこともあったようです。
(基本的に)チョロちゃんは授業中にノートを取りません
集中して聞きながらノートを取ると気が散って先生の話を覚えていられない。というのです。
それを見た他の小学校から来た生徒の中には、不真面目と取る生徒もいて、更に言えば
特別支援学級の生徒=馬鹿にしても良い
という偏見を持っている生徒も少なからずいて、それを口に出すこともあったそうです。
上級生の中にはすれ違いざまに
ガイジ(障害児の略)
とあからさまに大声で言われた事もありました。
学校によってこうも違うのか?
と狭い地域の中でさえも顕著な偏見に民度の低くさを感じました。
基本的に授業もテストも交流学級で受けていたのですが、それが難しい事もあり、そこら辺の事は先生に対処をお願いしました。
ある時の定期テストが返ってきた時、いつも意地悪な言葉掛けをしてくる生徒がチョロちゃんに
何点だったか?
と聞いてきて、それは自分の方が上だと思っての事で馬鹿にしての発言だったのでしょうが、それが得意科目でもあったのでチョロちゃんの方がいい点数でした。
多分、まともにノートも取らない特別支援学級の生徒だから、大した点数も取れないと思ったのでしょうがアテが外れ、この時ばかりはチョロちゃんも反撃して(かなり弁がたつので)色々言った様でした。
一年生の時には一々反論する事も多かったチョロちゃんですが、成長に伴いスルーする事も多少は身に着いて、
相手にしない。
事もできるようになっていきます(笑)
こういう事も避けては通れない時期だったのだと思いますが、中学の3年間は嫌な思い出ばかりだった。と言っています。
それでも毎日通ったのだから
頑張ったね。
と労いの言葉をかけて、
もう卒業したんだから嫌な思い出は忘れよう!
と今は言っています。
校長先生が一年だけで担任を変えてくれたのでまだ良かったです。
凸凹育児を頑張っているお母さんへ
今日も一日お疲れ様でした
明日も一緒に楽しみながら頑張りましょう
おやすみなさい