これまでの特別支援学級の先生は特別支援教育に関して初めて受け持たれた先生方でしたが、その時にチョロちゃんの必要な事を考えてくださった先生でした。
5年生になるタイミングで名コンビ先生の異動が決まりました。
前の校長先生がこの時に備えて4年生の時の交流学級の担任の先生に特別支援教育に関する教員の免許がある先生にしてくださって、スムーズに先生の交代ができるように配慮してくださっていました。
実は中学年の2年間特別支援学級の担任だった先生は2年生の時に交流学級の担任だった先生でしたから、当時の校長先生は先を考えてくださっていた事がわかります。
ですが4年生になる時に異動してきた校長は(年齢的には定年間際でしたが)特別支援教育に関して全く知らない先生でした。
折角、前の校長先生が2年先まで考えてくれていて資格ある先生に高学年の2年間の担任を任せる様にと準備してくれていたのに、5年生になる時に異動してきた定年間際でやる気のない先生が
「以前の学校で特別支援学級の担任の経験があるので、させて欲しい」
と言ったからという安易な考えでチョロちゃんの担任にしました。
チョロちゃんの担任になるはずだった先生は、今年こそ特別支援学級の担任になって頑張ります。
と、年度末にお会いしていた時に言ってくださっていたのに、まさかの大どんでん返しでした
新年度がスタートする前に校長先生に会いに行って抗議した時に校長先生が言った言葉がまさかの
「学年主任を任せられる先生が他にいなかった」
でした。
要するに新しく異動してきた定年間際の担任は
勤務年数だけはベテランだけれど、学年主任を任せる事ができない教師。
という事です。
更に本人が特別支援学級の担任を強く希望したので決めました。
…といい加減な決め方を悪びれもせずに保護者のわたしに話したのです。
その時の交流学級の先生は若い先生で、メリハリがあるいい先生でした。
チョロちゃんを特別扱いせずに(むしろ)厳しく関わる事で、他の児童達が公平に判断できるようになったので、時には先生に対して
「それはチョロちゃんが悪くない」
とか
「◯◯が先にやった」
というように擁護してくれる場面もあったそうです。
こういうクラスの雰囲気だったのでチョロちゃんは特別支援学級の教室にいる時間よりも、交流学級の教室で過ごす事が多い一年でした。
とはいえ、特別支援学級で勉強にも勿論参加していたのですが…チョロちゃんの話を聞くと去年までと明らかに違うのです
そして、役員をしていてしょっちゅう学校に行っていたママ友や他の人からの情報によると、今年は特別支援学級を覗くと勉強している様子が全く見られず、いつも教室で遊んでいる。というのです。
実はわたしも教室の床に並んで寝転んでいるのを通りがかりに見た事があったのですが、それが日常的な活動だというのです。
当時の担任は自分の子どもが所属するスポーツクラブのコーチをしていて、
毎日の様に練習があるので残業はしたくない。
普通学級の担任ではそういう訳にはいかないが特別支援学級の担任ならそれができる。
という安易な考えを持っていました。
だからやる気も向上心も工夫も全くなくて最悪の状況でした。
直ぐに校長室に直談判に行き状況を説明、校長が一旦預からせて欲しいというのでその日は帰宅。
その後、校長自身が状況を自分の目で確認したという事で、謝罪がありました。
但し、年度途中での担任交代はできないので一年だけ我慢して欲しい。と言われて残りの期間は我慢の日々でした。
先にも書いたように、交流学級の先生は良い先生だったのでチョロちゃんは殆どそちらで過ごす事になりました。
特別支援学級の担任になると数万円ですが手当てがつきます。
そういう事も知っている身としてはやる気のない教員がラクをしたい。という理由で特別支援学級の担任になりたがるのは迷惑でしかないのでやめて欲しいと思っています。
「光とともに…」(戸部けいこさんのコミックス)の中にも似た様な理由で主人公の子の担任になった厄介な教師がいましたが、当時はまるでそれだと思ったのを覚えています。
この担任は一年だけでしたが、こういう事はそんなに珍しい事ではないので、事例の一つとして知っておいて頂けたら…という事で残します。
学校側からしたら卒業させたら終わりで後はどうなろうがお構いなしでしょうが、子どもや家族にとっては本当に迷惑至極で将来に繋がる大切な1年を無駄にしない様に気をつけなければ大変な事になりかねないと思ったできごとでした。
凸凹育児を頑張っているお母さんへ
新しい一日が始まりました
今日も一緒に凸凹育児を楽しみましょう