11年半前の春から秋に受けた診断の時を挟んで一年間、親子で地元の大学の子育てサークルに通っていました。
診断直後の辛くて悲しい時期、そのサークルでチョロちゃんの担当だった学生さんに親子で癒されていました。
その人は障害のある子ども達と課外活動をする団体でボランティアとして参加している人だったので、チョロちゃんを見て何か感じるものがあったのだそうです。
後で聞いたところによると、担当していた教授にチョロちゃんの担当にして欲しいと頼んだのだそう。
この時の出会いは今でも貴重な縁になっています。
誰とも遊びたがらないチョロちゃんは毎回小さな部屋に入って中から鍵をかけ、その学生さんとわたし達親子の3人だけで過ごす事も厭わず付き合ってくれました。
夏には他の子達は子ども用のプールで大はしゃぎでしたが、当時のチョロちゃんにとって水は痛いものだったので、じょうろでの水かけ遊びも他の子達の様に喜ぶこともはしゃぐこともなく、一人水遊びに参加すらしないで周りを動き回っていました。
当時は顔に水がかかったらそれこそパニックは必至でしたから、入浴中のシャンプーも細心の注意を払って顔は固く絞ったタオルで拭くだけでした。
春にさつま芋を植えた時も、秋の収穫の時も感覚過敏で参加できず、いつもの小部屋で過ごしました。
気に入っていたのは鯉にパンをあげる事で、それには喜んで参加していました。
大学は徒歩圏内だったので、サークルの無い時でもチョロちゃんと二人でパンを持って餌やりをしました。
他にも親子スポーツ教室にも登録して大きな体育館で色んな遊びを一緒にしました。
当時は太陽をとても眩しがってもいたので、感覚過敏以外の理由でも室内の活動が良かったようです。
其々に拘りや感覚過敏で参加できない事やゲームがあったり、たくさん待ったりしましたがチョロちゃん自身が納得しないと参加できない状況(赤い色に拘っていた時期)だったので、
赤い遊具が空くまで順番待ちをしたり、列に並んだり…
あの時はそれなりに大変だったのですが今ではそれも良い思い出で、懐かしさすら感じています。
大変な最中にいるとそれが全てになってしまうものだけれど11年経った今となってはこんな風に振り返って懐かしく思えます。
大変だったり、辛い事ばかりの様でいて、実は楽しむ事もそれなりにできていたと思います。
そしてそれに加えて発達障害と診断されても子どもは発達しますし、大変なアレコレが治る手立てがちゃんとあって、治った人達がいるという事が頑張る気持ちを後押ししてくれるでしょう。
わたし達はそれぞれの場所で一人で頑張っているけれど、決して一人ぼっちではないのです
凸凹育児を頑張っているお母さんへ
今日も一日お疲れ様でした
明日も一緒に楽しみながら頑張りましょう
おやすみなさい