今年7月に岐阜市で中学3年生の男子生徒がいじめを苦に自殺したと見られる問題で、第三者委員は約30件について『いじめ』であると認定した。という事件 詳細はこちら
マンションから転落死(飛び降りた?)した男子生徒。
自宅からいじめをほのめかすメモが自宅から見つかったとの事。
我が子と同じ年の中学3年生。
まだ10数年しか生きていないのに…。
こういう事件を見聞きすると、親の立場で色々考えます。
我が子が思い悩み苦しんでいたのに、
どうして気づいてあげられなかったのだろう?
親として子どもを護ってあげられなかった。と思うのではないでしょうか?
死を選ばざるを得ないほど辛い目に遭わされていた中学生。
これから何十年も生きる筈だったであろう命。
そんなに辛い日々を過ごしながら誰一人相談できる人がいないまま過ごしていたのでしょうか?
親や家族に言えなかったのでしょうか?
思春期で何でも親に相談する歳ではない。としても、それでもSOSのサインを出せなかったのはなぜ?
安易に「いじめ」という言葉で一括りにしているけれど、金銭の要求があったのなら犯罪ですから警察に被害届を出すとか、他にも方法があったでしょう。
冷静に考えられない程、追い詰められていたのかも知れません。
金銭の要求で親や家族に心配や迷惑をかけたくないと思い悩んだのでしょうか?
親が子どもを育てるという事には、義務感から衣食住を提供する以上の事がたくさん含まれています。
一番の基本は愛情でしょう。
その中には子どもの事を心配したり、時に叱ったり、いつも気にかけ見守る事もあります。
こういう事件が後を絶たないのは、なぜなのか?
子どもに相談して貰えないまま自ら命を絶たれてしまうとしたら、親として後悔してもしきれません。
例え我が子でなかったとしても身近な子どもであってもです。
見ず知らずの子どもであっても身につまされます。
何とかして助ける事はできなかったのか?
助ける事はできないのか?
実際には何もできないのだけれど、
そんな風に考えてしまいました。