新生児期から眠らないだけでなく、その後のチョロちゃんの特徴の一つが多動で、
手を繋いで歩かない。
すぐにいなくなる。
というのがありました。
(小さい頃は)親と手を繋いで歩く。
のが当たり前だと思っていたので、日常の買い物すらままならない状況の外出はストレスでした。
いなくなることは多々あって、近所のスーパーであればまだましで、大きなホームセンターなどでは広すぎるし困るので、ズボンのベルト通しに百円ショップで買った帷子(かたびら)に大きな音が鳴る鈴をつけてどこにいるか?見つけ易い様に工夫(?)をしていました。
多動…も、成長と共に落ち着いてくるのですが、外で手を繋いで歩けないというのは危険と隣り合わせで怖いので、三歳くらいまでは買い物の時はベビーカーに乗せてくくったり、スリングに入れて連れて行きました。
割と大きかったので、ベビーカーもスリングも似合いませんでしたが完全の為の苦肉の策でした(笑)
スリングの中のチョロちゃんは重かった
当時の主治医から(多動の子を落ち着かせる為に)
「6歳になったら使える薬がある」
と言われましたが、薬に頼る気持ちはありませんでした。
睡眠障害も多動も本人のみならず世話をしている親(つまりわたし)にとっても心身共に辛いものでした。
この時、今の様に栗本先生と知り会えていたら、もっと早くラクになれたと思いますが(出会った時には多動が治っていたので)、我ながらよく頑張ったなぁ~と思います。
その後にハーネスとか、子ども用のリュックサックにそういう機能がついているもの存在を知りましたが、当時のわたしは手首に巻くものくらいしか知らなかったので、売っているのを知っていたら使っていたと思います。
ハーネスに関しては、
犬や猫じゃないのだから。
という批判を受けたという経験談を読んだことがあり、ブログでも過去にハーネスについて書いた記憶がありますが、これについても
周りにどう見られるか?
とか、
批判されたら…
という危惧は命を守る事と比べてどうなのか?
を、それぞれが考えて決めるべきもので、特に多動児の子育てをしていない人が批判したところで机上の空論でしかありません。
ただ元気がいい。
というレベルではない事は育てた人になら詳しい説明は要らないでしょう。
知らない人にはわかる筈も無いので、
そういった人達の意見に一喜一憂する必要はない。
とわたしは思います。
特に近所の人や祖父母の意見は…。
所詮、親以外は(最終的に)責任はとらないので無責任な立場の意見を一々聞いていたら身体が持ちません。
親と同居していないので、そういう意味では自由でもありました。
わたしの両親はわたしの決定をいつも尊重してくれました。
子育てに関してアレコレ指図(アドバイスかも知れませんが)されたり、凸凹発達の子どもの事で色々言われて辛い思いをしたお母さんを知っています。
(今の様に)一緒に並んで話しながら歩けるのって嬉しいです