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我が子が自閉っ子だとわかってから、たくさん本を読んだし、色んな人の話を聞いたし、勉強会にも何度も足を運びました。
多分、その辺にいる学校の先生よりは本当の意味での特別支援教育の事はわかっていると思います。
少し前に頂いたコメントにも、頭打ちの学習支援について書かれていました。
みんなと足並みを揃えさせる事には焦点を当てても、先を行く事には消極的というか批判的になりがちな教育現場。
学習の速度も個性と同じでみんな違うのですから、個々に合わせて合理的な配慮をしてくれても良い筈なのです。
合理的配慮という言葉が本当の意味でされたら良いなぁと思ってしまいます。
現状を理解していない先生が特別支援教育の実際的ではない(必要ないところばかりの)支援法を研修会で聞いて、学んだつもり知っているつもりで関わられても的外れな関わり方にしかならず、およそ支援とは程遠いのが残念でなりません。
神経発達症(発達障害)の子ども達を育てている親ならわかるのですが、もう少し狭い括りの自閉っ子の子育てでもそれぞれに違うし、得意も苦手も性格も特性や特質も育ち方も違うのです。
そう親は理解しているけど、先生の中には発達障害という大きな括りもっと言うと特別支援学級の児童・生徒という大雑把な括りで物事を何とかしようとする人もいる訳で、そうなってくると大変なのです。
どう大変かっていうと、何かちょっとできていると
「〜〜ができるんだから△△な筈」
と決めてかかって勝手に枠組みを作ってそこに当てはめ様(押し込もう)とするのです。
他にもかつて知っている自閉っ子の記憶を盾に、
「前に(交流学級で)教えた事があるのでわかっています」
と、言い切る先生。
その自信がどこから来るのか?理解不能ですが割と多くて、リアルな友達も困っています。
知っていると豪語する割に実は全然わかっていないケース
こういうのが困るのは、こちらの話を聞いてくれない(泣)
合理的配慮でタブレット端末の使用は認められている筈なのに、
「(何とか)板書ができるのだから大丈夫ですよ!」
と訳のわからない理屈でタブレット端末の使用を許さない。
「チョロちゃんだけ特別扱いできません!?」
って、じゃあ何の為の特別支援教育なんですか?と聞いても、学校の規則という言葉が合理的配慮より優先されるこの不条理。
要するに文科省が言う合理的配慮の本当の意味がわかっていない後手後手の対応なのです。
勿論、これは氷山の一角でまだまだ問題は山積です。
「学校に行きたくない!」
と言いつつも毎日登校して(させて)いる現状を何とかしてくれないのは事の本質が見えて(わかって)いないからに他なりません。
不登校になって初めて動いても遅い(手遅れな)のです。
だから次の手を考えないと!
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