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時々耳(目)にするのですが
障害は自分の個性
という人がいます。
(障害特性に起因する全てが)
個性だからこのままでいい。
生き辛さもひっくるめて自分なのだから。と。
わたしはチョロちゃんを育てていて感じる育て難さは子どもの個性では済まされない次元のものでした。
神経発達症(発達障害)の人は、定型発達の人が何にも苦労せずにできる事が出来なかったり、感覚過敏や睡眠障害、偏食、パニック、拘り自傷行為や他害等々ひとつひとつが大変だったり苦痛だったり不安だったりするのですから、毎日生きていくのを辛く感じる事もあると思います。
毎日一緒に生活をし、幼い頃は世話をしている親であっても、本人ではないのであくまでも第三者の立場なのですが…。
数日前に花風社社長の浅見淳子さんが「個性」について、ブログで公開質問をしていました。
わたしが丁度この事を考えていた(この記事のタイトルがふと浮かんだ)時だったので驚きました。
わたしの感覚だと「障害が個性」だといっている人の多くが実生活に於いて多少なりとも困っているのだけれど、それを言ったところで変わらないのだから、それなら「個性」だと思った方がいい。という発想の転換からそう言っているように思えてならないのですが…。
また、大変なのが当たり前でラクな事(悩まずに簡単にできる事)がイレギュラーだし、そういう感覚を経験していないのでわからない。という事もあるのではないかな?と思うのです。
対照的にチョロちゃんは自分の大変さが辛くて、幼児期には既にわたしに訴えてきていたほどなので、間近で見て(育てて)いて大変なのがわかったし、わたし自身も振り回されて大変な毎日(育児)だったので他人事(ひとごと)ではありませんでした。
だから、障害と言われる部分は本人のみならず周りの人の為にも治った(治した)方が良いと思います。
チョロちゃんは色んな大変さが減ったり治ったりして生活の質がグンとよくなりました。
それでも、未だ大変さが残っているので奮闘中です。
だから、障害は個性でないと思います。
個性だったら治った方がよいものだなんて思いませんものね?
障害の部分が治っても、その人らしさや個性はそのまま残りますから(笑)
チョロちゃんはチョロちゃんなんです(笑)
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