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「いじめの問題」に関心がある方は多いと思います。
我が子がいじめを受ける(被害)側については勿論の事、万が一にもいじめる(加害)側になる可能性について考えるだけでも親としては辛いものです。
ただ…子ども達の成長をみてきて思うのは、いじめの被害で子ども達には辛い事も嫌な事もありましたが、親として
我が子が加害者(いじめる側)ではなくて良かった!
という事です。
娘がいじめの被害に遭った時、同じグループの中で首謀児童に引っ張られて娘を仲間外れにした一人の子のお母さんが、
「学校を休んでいたのが家の子だったら、いじめの標的は我が子だったと思う」
と言った時、わたしは即座に否定しました。
他の児童はそうやって「引っ張られていじめに加担した」のかも知れませんが、それはその子がそういう判断しかできなかっただけの事。
小学高学年なのですから、その位の判断はできるでしょう?
本当にそうなのでしょうか?
誰かに言われたからといって、それまで同じグループで仲良くしていた子に対して、(本人に)確かめもしないで集団で突然一人を仲間外れにするなんて、おかしいと思えない方がおかしい。
とわたしは思ったのです。
そして、誰かに唆されたとしても、娘がいじめをする側になる事など、有り得ないと思ったからです。
人が悲しんだり辛い目に遭っているのを見て何も感じないなんてわたしには理解できないし、ましてそれを楽しんだり喜んだりできるのだとしたらそれは異常な事です。
そう思えない事に問題があると思いました。
その子のお母さんの言葉は我が子がいじめる側にならない事よりも、いじめられる側でなくて良かった!という事ばかりに重きが置かれて、人として大切な事を見失なっているように感じてなりませんでした。
いじめを受けている子を庇ったり助けた子が次の標的になる。という話はよく聞きます。
要するに正当な理由やきっかけではなく、単なる思いつきや憂さ晴らし、利己的な気持ちから人を傷つける事に何のためらいも罪悪感も持たない卑劣な行為がいじめなのです。
これは犯罪なのだと世間が認知して、徹底的に根絶に向けて動かない限り、今日も誰かが傷つき心と身体に深い傷を負うかも知れないのです。