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日常 OF THE DEAD

総合自分自身芸術家
炬燵の王様チョップ・イチロットン
オフシャルブログ



昨日、毎年恒例のノースFM忘年会があった。

まあ、いつものように魑魅魍魎のおしゃべりたちが集う楽しい会でした。

しかし、当方、少々飲みすぎてしまい、その中の数人と2軒目の店でワインを数杯頂いたまでは覚えているが、その後の帰りの記憶がまるでない。


早朝、愉快なおしゃべりたちのグループLINEがキコンキコンと鳴り、それで目覚め気がつくと、案の定コタツで寝ており、帰りにコンビニに寄ったであろう、片手にファミマのコーヒーカップを持ち、もう片方の手には何故か「石鹸」を握りしめていた。

イエス、二日酔い!


しかし、何故に私は石鹸を握りしめて寝ていたのか?

誰が私に石鹸を渡し(ダジャレ)たのか?

いつものように怖くなり、昨夜の最後一緒に歩いて帰ったであろう近所に住む同僚に確認した。

すると、彼女はこう言った。

「まるで下校時の小学生のようでしたよ」と。

んあ〜


下校時の小学生。

つまりは、途中何かオモロイものを見つけようものなら、そこで足を止めてずっと遊んでいるような、

木の枝を指揮棒に自作の歌を大声で歌いながら歩いているような、

給食袋を振り回してたら、その紐が首に巻きついて死にかけるような、

ランドセルをドブ川の向こう岸に投げて、ギリで届いたけど中身だけ全部ドブに落ちちゃったような、

つまりは、ただの馬鹿じゃないか。

私はついに中学生を飛び越えて、小学生に成り下がってしまった。


今日は部屋で泣いていた。

痛む頭を抱え一日中泣いていた。

今日の私は世界最弱であった。

おそらく、ハムスターよりも弱かっただろう。

しかし、ここで終わるわけにはいかない。

私にはまだ怒涛の年末が待っている。

「明日また生きるぞ!」とは、かつてパンクラス時代の船木誠勝の名言だが、

私もまた、今日を死に、明日を生きなくてはならない。


そう、

明日は「チョップ軍団忘年会」だ‼️


写真は、

抽選会で当てた景品のアイマスクを装着して嬉しそうな白鳥姐さんと、

子分たちの前で気勢を張る金子信雄。


【そして僕は左右という文字を縦に書けるようになった】


子供の頃、いろんなことに納得がいかなくて、

それはおかしいだろうと発言すると、

そこに理不尽はやってきて、

「そういうものだ」と言う。

いや、そういうものが  まずわからないのだから、

そこをちゃんと説明してくれなくては困るよ、大人ちゃん、と、子供ちゃんの僕は言う。

すると、理不尽な大人ちゃんは、

「言われたとおりにやったらいいんだ」とか言いだす。


嫌だった。

おかしいと思うこと、納得のいかないことを言われたとおりにやることが嫌だった。

意味が知りたかった。

理由が知りたかった。

世界の意味が知りたかった。

生きていることの理由が知りたかった。

でも、それをちゃんと説明できる大人ちゃんはいなかった。

何故なら、大人ちゃんも大人ちゃんでそれを考え、その答えを持っていなかったからだ。


そして、いつのまにか僕も“ただの”大人ちゃんになって、

それを知った。

意味なんかないんだ。

理由なんかないんだ。

左も右もないんだ。

上も下もないんだ。

自由でいいんだ。


子供の頃、二ヶ月だけ通った習字教室で、僕に左右という字を縦に書かせた先生は、それをわかってやっていたのだろうか?

いや、おそらく違う。

それをそう解釈したのは、

大人ちゃんになった、

僕の方だから。




『Love Song』

山のものか  海のものか
どこの馬の骨かもわからない

山賊か  海坊主か
ただの道化なのかもしれない

空は曇り  海は荒れ
地球が滅びるかもしれない

花は枯れ  花瓶も割れ
神様なんていないかもしれない

けれど  歌わなくてはいけない
その失意の声すら歌にしなくてはならない

新世代の申し子たちに向けて
一葉の絵葉書に綴るような

そんな 僕のラブソング
届け 届け  地獄の底まで届け

そんな 僕のラブソング
届け 届け  宇宙の果てまで届け

そんな 僕のラブソング
届け 届け  君のもとまで届け

君の心に届け