【そして僕は左右という文字を縦に書けるようになった】
子供の頃、いろんなことに納得がいかなくて、
それはおかしいだろうと発言すると、
そこに理不尽はやってきて、
「そういうものだ」と言う。
いや、そういうものが まずわからないのだから、
そこをちゃんと説明してくれなくては困るよ、大人ちゃん、と、子供ちゃんの僕は言う。
すると、理不尽な大人ちゃんは、
「言われたとおりにやったらいいんだ」とか言いだす。
嫌だった。
おかしいと思うこと、納得のいかないことを言われたとおりにやることが嫌だった。
意味が知りたかった。
理由が知りたかった。
世界の意味が知りたかった。
生きていることの理由が知りたかった。
でも、それをちゃんと説明できる大人ちゃんはいなかった。
何故なら、大人ちゃんも大人ちゃんでそれを考え、その答えを持っていなかったからだ。
そして、いつのまにか僕も“ただの”大人ちゃんになって、
それを知った。
意味なんかないんだ。
理由なんかないんだ。
左も右もないんだ。
上も下もないんだ。
自由でいいんだ。
子供の頃、二ヶ月だけ通った習字教室で、僕に左右という字を縦に書かせた先生は、それをわかってやっていたのだろうか?
いや、おそらく違う。
それをそう解釈したのは、
大人ちゃんになった、
僕の方だから。