働くカットマンのチラ裏卓球ブログ -5ページ目

働くカットマンのチラ裏卓球ブログ

「普段チラ裏、たまに双方向的チラ裏」を目指す卓球ブログ
現在は書き殴りながらの思考の整理がメイン

【現在の使用用具】
ラケット:ビオンセロ (特注グリップ/ニッタク)
F面:ディグニクス09C (2.1mm/バタフライ)
B面:バーティカル20 (特薄/STIGA)

 サーブ見える見えない問題は、コロナの流行り始める前、卓球を本格再開し、卓球用にTwitter(Xとは未だ感情的に認められない)をやり始めてからの5年間でも何度となく観測しています。

 

 参加者全員がモヤってるのも何度となく観測しています。


 観測する度に僕もモヤってます。

 


 この件に関して、

 

 そもそもSNSは議論に向かない

 

 と、論点の本質部分とは別のそれっぽいことを言う人もいます。

 

 その理由は、SNSには文章量に制約があり、全ての考えを言語化するには難しく、さらに読み手側の読解力に委ねる部分も大いにあるから。

 

 さらに、自由参加自由退出制だから、というのが大枠の理由。

 

 

 が、まずこの議論が云々の点に関して言えば、僕も一部正しい面は捉えられていると思いますが、そもそも大前提が捉えられていないと思うので、その大前提部分を勝手に指摘しておきたいと思います。

 

 

 それは、議論の場がSNS上で展開されていようが、リアルのクローズドな場で展開されていようが、ほとんどの人間は、議論できるだけの能力を持ち合わせていない、という現実です。


 卓球界隈でいわゆるインフルエンサーと呼ばれる人達には、この能力を持ち合わせている人は皆無だと思います。経営畑のあの子は卓球のインフルエンサーではないしなぁ。

 (そして記者さんは首突っ込まない。)

 

 

 ほとんどが

  • それなりに自分の考えを平易に相手に理解させられる程度の言語化能力を持ち合わせていないし
  • それなりに正確に相手の論旨を把握できるだけの読解力や理解力も持ち合わせていないし
  • テーブルに乗せるべき論点をすり合わせられる程度の知性を持ち合わせていないし
  • 論点Aに対してはお互い賛成だが、論点Bに対しては見解が異なりますね、といった論点ごとの整理ができない

 と、能力的に限界がある、というのが現実です。


 (言語化できるレベルの話というのはかなり表層に近い部分なので、本当に深い部分での相互理解…といった人類協調・多様性の尊重みたいな夢物語の高度で高尚な話ではないと思いますが、)今回みたいなごく浅いところの議論でも難しいのは、それなりに高度な知性を兼ね備えていないと、議論という高度に知的な活動は、最初から成立し得ないからですね。


 もうちょい付け足すと、能力不足なので成立させられないし、能力不足なりに成立させようとも思っていないからかもしれません。


 でも仕方のないことです。


 能力的に必要とされる要素は隣接し合っているので、ある面で得意な人もいますが、それでもどこか一つでも欠陥があると、議論は難しくなります。そして人間は大なり小なりほぼ複数当てはまるので、無理に決まっています。


 だから、多くの人間には難しいのではないか、と思います。


 そうやって対話が少なくなり、思想信条の分断が生まれ…みたいな話は、さらに発散するのでここではやめときます。

 

 

 「議論」って何なんだ定義をハッキリしろ的な指摘もあると思います。仮に

  1. 相手と自分の論旨を理解し、
  2. 見解の異なる論点を洗い出した上で、
  3. 論点ごとに再度意見交換し
  4. それなりに互いが納得いく方向へ着地する
 そういうものを「議論」と言うとすれば、4がめちゃくちゃ難しいなと個人的には思いますが、
 
 ほぼほぼ99%ぐらいの人間が1で詰んでるので、卓球であればサーブミスで終わりです。

 出すサーブ間違えてるというか、サーブ出す台を間違えてるというか、サーブのルール理解してないんちゃうかというか、そもそも「サーブ」じゃなくて「サービス」ですよね言葉遣いは正しくお願いしますね、みたいな殴りたくなるような茶々が入って何も始まることなく終わりです。

 

 

 1,2だけでも…と誰かが試みても、論点ごとの整理と、それなりに理解してもらえる平易さを担保しつつ、誤解・誤読を生まないようなそこそこ正確な表現をすると、結局それなりに表現が難しくなる上に長くなるので、これが文章化されているか、口述されているかを問わず、やっぱり参加者(の能力)を選ぶのだと思います。

 

 

 

 そこは承知の上で、それでも、やたら「おすすめ」で流れてくるのを見続けると、モヤる気持ちが大いに分かるし、実際モヤるので、このサーブ見える見えない論議っぽいものを追い、僕のモヤってるポイントも整理してみたいと思う次第。

 


 大きな論点は

  1. ルールを理解していない層がいること
  2. ルールを守ることが難しいこと
  3. ルールを守っていないことを判別することが難しいこと
  4. ルールを守っていないことを指摘することが難しいこと
  5. 競技的にサーブを隠すことの有効性
  6. 競技力が高ければ見える見えないは些末なことなのか?
 あたりかなと考えています。

 
1.ルールを理解していない層がいること
 これはTwitterを始めた頃に最も驚いたことですが、
 
 圧倒的に競技レベル帯も上で、何なら「人生で卓球しかやってこなかった」層の人間達や、その指導者・監督ですら、平気で
 「結局インパクトの瞬間が見えてたらいいんでしょ?」
 という類のことを言ってるので、
 「あ、あぁ…あっ…ね…🤗」
 と何とも生温かい感情を抱くことになりました。
 
 真のトップ層ですら前提が揃ってないから噛み合うことがないという。
 
 卓球しかやってこなかった層は、それだけに全員が僕より想像以上の高みに達しているという幻想を抱いていたが、そんなことはない、というのがよく分かりました。

 また、未だに堂々と思いっきり違反しているサーブ動画を出されるYouTuberもいるので、まあしゃーないのでしょう。
 
 
2.ルールを守ることが難しいこと
 サーバーは、真上にトスをあげ、すみやかに、ピン球をレシーバーが視認するための障害物(フリーハンド・胴体・頭などのあらゆる相手の視界を遮るもの)を排除して、その上で打球しないといけない
 
 というのが平たいルールですが、いわゆるフォアハンドサーブでこれを実行するのはだいぶ難しいです。
 
 数値的に定義されていない部分(トス角度とか、どれぐらいすぐにフリーハンド引くかとか)もあり、その点を差し引いても超厳格に運用すると99.9999%は、フォアハンドサーブを使用した瞬間にフォルトになるので、ルール運用は結局、程度問題になってきます。
 
 どの程度許容されるかは、後述しますが、なんとなくの「納得度」でジャッジされる雰囲気があり、この「納得」の部分で、致し方ないとは言えモヤる人が多いし、僕もモヤります。
 
 
3.ルールを守っていないことを判別することが難しいこと
 2と重複しますが、サーブのルールは、守っているか否かを判別することが、運用上非常に難しいです。
 
 正確に判別しようとすると動画判定が必要ですし、そもそも前述したとおりトスを真上に…とはどこからどこまでの角度を許容するのかなどの数的な定義が必要であるし、それが導入されたのも最近の話であるうえ、動画判定できないような一般の試合では、横から見てる審判のジャッジに完全に依存するので、もとより実効性に無理があります。
 
 そのため審判のジャッジも実質かなり「雰囲気」に頼ることになるので、「許容度」「納得感」「雰囲気」と曖昧ワードが3つぐらい重なって裁定されているのが実情。

 
 このような現状が絡み合って、「インパクトの瞬間が見えてそうな"雰囲気"であればとりあえずセーフ」という運用が為されます。

 「さすがにインパクトの瞬間が見えてないサーブはNG」という多くの人間の「許容度」を超えているだろう「納得感」が、その運用の理由だと思います。

 しかしこの運用が蔓延ることによって、1の「インパクトの瞬間が見えていればルール上OK」という誤解が再生産されているっぽい…という構図がまた何とも悩ましいですね。
 
 
4.ルールを守っていないことを指摘することが難しいこと
 3と重複しますが、サーブがルールに抵触しているか否かを審判目線、レシーバー目線双方で運用上判別が難しいからこそ、指摘すること自体が難しい、という問題を孕んでいます。

 さらにその指摘しづらさに拍車をかけるのが、後述する「それなりに競技力は高いがトップ層からすれば遥かに低い中途半端な実力が故に、卓球にしがみついて生きていくことにしたインフルエンサー」達の言動です。

 判別が難しいが故に、「難癖をつけている」「言い訳している」「レシーブ力の向上を怠っている」などと、別軸の自己責任論に転嫁しかねない言動・言説が、さらにレシーバー目線で指摘しづらくしています。


 実際に指摘するのはそれなりにメンタルを消耗するし、

 もし思い違いだったら…
 自分もだったら…
 見えてても影響がないとしたら…
 指摘した上で負けたら…
 でも見えないサーブから3球目カチ込まれてドヤられるのマジで腹立つし…
 これに気を取られて集中できないのも腹立つし…
 このまま指摘しないで負けるのも腹立つしでも負けるかも知れないし…
 なんでこいつのせいで俺がこんな気持ちにならなあかんの…
 
 などと、多くの人は色々な逡巡を何周も繰り返した挙句、結果として「敢えて指摘しない」か「敢えて指摘する」を選ぶことになります。
 
 タチが悪いのが、レシーバーはどちらにせよ負の影響を受けますが、サーバーはグレーサーブを出し続ける無敵の人になるだけで恩恵を享受できるという構図です。

 2〜4は構造的欠陥なので、仕方のない部分も大いにありますが、モヤっとポイントが高い部分だろうと思います。

 なかなか曖昧にならざるを得ず、運用上厳しくし過ぎるとそこらで戦争が起きるという実態も孕むため、多くの人が「モヤるけど、まあお互い様なところはあるし…モヤるけど…」と、妥協しながら、空気を読みながら、あるいは諦めながら、本音では嫌だけど我慢し合っている、という状況にあります。
 
 
5.競技的にサーブを隠すことの有効性
 こうしてそれぞれの我慢と妥協の上でギリギリの表面張力で成り立っているような世界で、

 敢えて発信されたのが「サーブが隠れてても気にならない」論です。

 結構なストレスに晒されている人間が多いところに、さもストレスを受けている側に原因があるとも取られかねない言動をなぜしたのか、というところで火がついたのだと思います。

 本人の想像力の欠如などは言っても仕方ないと思います。


 一方、サーブルールと運用の構造的欠陥がある現実下で、いちいち試合中に逡巡していたら、勝利から遠のきます。

 そのためある程度この欠陥を事前に踏まえた上で、自分の中で判断基準や行動指針を定め、「この場合は指摘する」「この場合は指摘しない」「そもそも審判が判定するまで何もしない」「気にしないこととする」といった各々の競技者としての、メンタルの浪費を回避するための立ち回り方や思考法があります。

 本旨はそういう実務的な運用術だったと思いますが、まあこれ(炎上)もまた仕方ないな、とも思います。これもまたひとつの構造的な欠陥です。


 なお、ハッキリさせておきたいところがあります。

 実際にサーブが隠れているか隠れていないかは、
 隠れている方が取りにくいし、
 トッププロも影響を受けているし、
 隠れていることは是正される方が良いし、
 隠れているからレシーブできないというのが言い訳である、という言説は、明確に間違いである。

 ということですね。

 ボディハイド・アームハイド全盛の時代にトッププロはなぜみんな隠してたのかと。


 仮に、隠れてる隠れてない以前の問題がレシーバー側にあったとしても、「あ、隠れてる!」と思うことで思考を奪われることはあります。


 とはいえ、ちょっと隠れてるぐらいなら思考を奪われず取れるようにしておかないと実務上の支障をきたします。
 それはそれ、これはこれです。
 
 
6.競技力が高ければ見える見えないは些末なことなのか?
 5と重複しますが、これも明確に誤りです。

 「競技レベルが高くなると見えるからこそ取れないサーブがある。見えないだけのサーブはまだマシ」みたいな言説もありました。

 論点がまるで違う上に、現実にも則していないのに、何でお前それわざわざ言うたん?と思いました。

 敢えてのSNS運用術である、というポーズをとっておきたいのだと思いますが、卓球に時間を割き過ぎて一般的な論理的思考力を養成しきれなかったのだと思います。

 ちなみに、極めてドクリーンなサーブで、取りづらいサーブというのは現に存在します。
 コースがフォア前とバックロングでどっちに来るか分かりにくかったり、非常にモーションが上手いと回転軸すら誤認したり、そこまでではないにしても回転量が分かりにくかったり、と、サーブが上手い人はそういうサーブを練習しています。

 ただ仮にそういう人のサーブをレシーブする際、特殊なゴーグルをかけ、打球1秒前から打球の瞬間までボールが見えない画像処理を施したとしたら、さらに輪をかけてレシーブできないと思います。

 一方でトスやインパクトがグレーまたは真っ黒な人でもレシーブができるのは、トスの角度や身体の向きからなんとなくコースが分かる人が多かったり、見えている部分の動きから回転軸を推測できたり、ボールの跳ね方・軌道を見て判別できたり、初見は全く分からなくても「全く見えないがこの動きの雰囲気からはこのサーブが前回来たから今回もそうだ」と類推できたり…という経験則が働くからですね。

 むしろボディハイド・アームハイド全盛期はそれで判断するしかありませんでした。

 僕はその頃に卓球を始めたので、インパクトを隠しに隠した上で、隠せない(相手に見せざるを得ない)前後の動きによって相手に誤認させるところまで考えてサーブを練習しました。

 サーブコントロールはそこまでではありませんでしたし、いま振り返ると他の技術が稚拙極まりないので弱かった(※今が強いとは言っていない)ですが、あの頃の中学生の自分と今の僕で比べて、サーブの取りづらさ、回転の分からなさだけなら中学生時の自分の方が上だろうと思います。
 対照実験できないのが残念ですが。

 プロも仮に再度ルール改定されて隠して良いとなったら、絶対隠すだろうと思います。



 終わりに


 多くの人がモヤっとしたのは、ただでさえモヤモヤを日々抱えているところに、「卓球しかして来なかったが競技力で飯を食ってる訳でもないぐらいのインフルエンサー」が、弱者への責任転嫁論に見えるような言動をしたことや、現実的なサーブを隠すことの有効性を無視して持論を展開したことにあるんではないかな、と思いました。

 拡散されている、同意できない言説の中には、インフルエンサーほどではないものの直接の知り合い…という子もいますが、敢えて指摘されないししたこともないけど、ギリ許容されるが社会の寛容さに許されてるだけやでってぐらいのグレーサーバーであることもまた、この問題の難しさを感じるところです。

 指摘されたことがないことをもってクリーンであると主張するのも、いろんな曖昧さの中で許されているだけなのだということに無自覚であり、それは在り方としてどうなんやろうかと思うところです。


 自分のことを省みると、今でこそ僕はバックサーブ主体です。

 昨今はフォアサーブの特に巻き込みがクリーンであるようにトスなど心掛けて練習していますが、ここ一番で力が入ると昔の体のクセが出ますし、それでサーブが効いて勝ってもどこか「あれ見えてなかったから向こうに効いただけちゃうやろか」という雑念が拭えません。

 結局いくらフォアサーブを練習してもバックサーブの方が色々と気軽に使えるので、最終的に自分の取り組み方や心の在り方を考えた結果、相手のサーブのことをあまり気にしないように努めつつ、自分はグレーをなるべく排除する行動をとる…というところに落ち着きました。

 これで勝敗が生活に直結するなら色々加味した上でフォアサーブもガンガン練習して使ってるんだろうと思いますし、多少グレーでも指摘されるまで使い続けるだろうと思います。


 それぞれが現実を踏まえてどう立ち回るかを予め決めつつ、あまり自己責任論に転嫁されないような空気は醸成されても良いのかもしれないな、と思ったところです。

 インフルエンサー達の言動は、インフルエンサー(笑)ですし、仮に指導者という立場であっても卓球にちょっと詳しいだけで一般的に考えられないような思考形態の人もいるので、真に受けないか見ない方が良いのだろうと思います。

 そこも含めてどう立ち回るか決めておくとQOLが上がるかもしれないな、という感想を持ちました。