【雑記】2024年の行動基準やら | 働くカットマンのチラ裏卓球ブログ

働くカットマンのチラ裏卓球ブログ

「普段チラ裏、たまに双方向的チラ裏」を目指す卓球ブログ
現在は書き殴りながらの思考の整理がメイン

【現在の使用用具】
ラケット:ビオンセロ (特注グリップ/ニッタク)
F面:ディグニクス09C (特厚/バタフライ)
B面:バーティカル20 (特薄/STIGA)

 2024年あけました。今年もよろしくお願いいたします。

 

 実は喪中なんですけど、きょうびそんなん言われましてもって感じですよね。

 

 子どもには難し過ぎるので「あけましておめでとうございます」をたくさん練習させました。かわいすぎる。

 

 

 

 さて、特に昨年から、元陸上選手の為末大さんのTwitterをよく好んで見ています。

 

 TwitterはTwitterです。

 企業公式でもないのにXって言ったりポストって言う人を見ると、オフチャロフのことを敢えてディマって呼ぶ人を見た時のような、得も言えぬ感情を抱きます。

 新年から言葉が強過ぎましたか。反省してます。

 

 

 じゃなくて

 

 年末年始のどこかのタイミングでの為末さんのツイートで、栄枯盛衰サイクルの話やらがあったのを見ました。原典に立ち返って確認するほどのモチベはないんですが。

 

 フワッとした理解ですが せやな と納得しました。

 

 そこで書かれていたのは、


 拡大局面ではリソースをどんどんブッ込んでいってパイを増やしていくことが重要。

 

 一方、飽和から衰退に差し掛かる局面では、パイを増やすには限界があるため、リソースをいかに再分配するかが重要である。


 みたいな話だったと思います。

 

 日本のライフステージの話やった記憶。為末さんが続けて言うてたのか、僕が勝手に脳内変換したのか定かではないですが、人生的にもそうやなと思いました。

 

 

 自分のライフサイクル・ステージを顧みるに、現在のところは衰退とまでは思いませんが飽和局面までは来ていると思います。

 

 特に可処分時間。

 

 与えられた時間は、寿命のことは一旦置いとくとして皆平等なはずですが、やっぱり小さい頃、学生、若手社会人…でのらりくらり過ごしていた頃…と今では、「何に時間を使うか」を考える際、どれだけ自由な裁量があるかの可変性と言いますか可動性と言いますかバッファと言いますか…が全然違います。

 

 極論で言えば、自分の人生の選択決定権は全て自分にあるはずなので(それも実際はちょっと怪しいと思いますけど、とりあえず日本はかなり自由なのでそうしときます)、なりふり構わなければ何をするのも色々可能ですけど、その代償は致命的なモノになるので😇、それは避けたく無茶苦茶な動きはできません。

 

 子どもに関して言えば、どう考えても100%親側のエゴで生誕させてる訳ですから、自分の人生全てを捧げるまではいかないにせよ、それなりの責任を果たさないといけません。

 

 

 そうすると、家族・家庭も大切ですが、その生活基盤となっている仕事。

 

 これも休職中考えること10周ぐらいし、年末年始も考えてましたが、働きたくない思いはそのままに、現状変える選択はありません。

 

 どう考えても、現状の仕事に割く絶対的な時間・努力量・業務中の集中力・投下する能力その他リソースと、得られる収入のバランスが高効率です。

 

 またコロナ禍だったり、それこそ年始に起きた災害のことも踏まえて色々思うところがあります。


 自分ごととして考えると、この職はあらゆる天変地異に対し、健康でいさえすればほぼ無敵。この無敵性が揺らぐときは日本が終わる時か、働き方の根本が変わる時ぐらいで、僕が不要となる順番が回ってくるのはかなり後の方でしょう。

 

 効率面でしんどい方向に揺らぐような場合、活動不能になる三歩手前ぐらいで一旦休職を挟めばよいことも分かりました。しっかり権利として認められ、事実上のライフハックとして機能する点でも恵まれています。

 

 健康リスクを除くその他リスクに対し、脳ミソのリソースをほぼ割く必要なくかなり精度の高い見積もりの中で生活できるという点では、なかなか無敵に近いと思い知りました。



 探せばもっと高効率な生き方や、効率を度外視した先にあるQOLの高い生き方もあるかも知れませんが、それ相応の出力と継続が求められます。自分の出力の瞬間最大値は多少高くとも、継続的に張り詰めて頑張るスタイルはやはり性に合いません。僕が頑張れるのはどれだけ長くとも2年が限界です。

 基本脱力しておきたいので、現状に甘んじつつ、その中で最大限時間を作ろうと思いました。

 これ以上労働時間を短くした上で、現状のあらゆるリスクリターンの総合点を高効率化できる術はあまり思いつきません…(というのは自己正当化かも知れませんが)

 

 欲を言えば半分ぐらい土曜勤務があるので、部署異動したいんですけど。。。平日休みもええんですが。。。

 

 なぜか配属先のほとんどが何かと土日祝の出勤が生じやすい部署ばかりで、何のためのこの職なのかと思う時はあります。。

 

 

 

 と、こうやって与えられた時間のうち大部分を占める固定費部分が埋まっていきます。それでもなんとか固定費外の時間を増やすべく、仕事に割く時間を削るベクトルの努力は惜しみませんが、既にフルタイム職でいえば常人の極限に近いところまで来ています。

 悩みとしては贅沢ですが、週労2日ぐらいでなんとかならんものか。


 …そういう諸々の逡巡がありつつ、残りの可処分時間をどう使うか、その再分配に頭を使う、より意識を割いて高効率な使い方を考えていくというのが今年のテーマかなと思っています。

 

 まずはガムシャラに経験。トライ&エラーをする中で最適解を見つけていく…という行動選択基準は、時間の裁量がデカい内だけの話で、僕にはもうなかなか当てはまりません。いたずらに失敗を重ねていけるだけの時間は無いです。

 自分の価値基準に沿って、先人達のトライ&エラーの結果をうまく参照していく必要があります。

 

 自分が選べる数少ない場面では、選択肢の中でなるべく期待値の高そうな行動を取り続ける必要があります。



 …てなことを卓球の練習の事前調整時に特に思います。場所・機会の選定から大事にせなアカン、的な。

 


 ああ、こうやって人間はしょーもない守り思考の凝り固まったヤツになっていくんか…と思わんでもないです。


 このブログ始めた頃の自分と今対峙すると「お前の思考回路は隅々までクソしょーもないな」と言われそうですが、当時の自分の考えを受け止めた上で、「でもそれはライフスタイルとサイクルとステージによる違いによってどうしても生じるものであって、しゃーないんや、今を大事に使えよ」と返す気がします。

 

 

 今年はまたさらにライフサイクルが変わってくると思われるので、可処分時間の使い方をよりしっかり吟味していきたいです。

 

 

 自分自身はそんな感じですが、子どものこととなると、できる限りリソースをつぎ込んでいきたいですね。マジで可能性無限です。

 

 子どもの無限性は、吸収力もあると思います。親バカからコイツ賢いなと思うことはあっても、やっぱ観察してると最初からうまくできてることなんて何一つないんですが、何度もトライ&エラーを繰り返すことでどんどんできるようになってきています。何回「卓球も同じや…」と学ばされたことか分かりません。

 

 吸収力以上に無限性の際たるものと言えば、やはり子どもにはこれから何に注力するかの可変性、選択肢が無限にあることです。


 極めてありふれていますが、ありふれている言説には普遍性の高い真理が多く含まれているなと思う今日この頃です。


 

 親都合での諸制約はどうしても生じてしまいますが、子どもが選びたいと思ったらそれを選ばせてあげたいですし、何か選びたくなるキッカケは出来る限り与えてあげたいと思います。その上で自分で選んでほしいですね。

 

 そんな感じの2連休です。(年始から土曜出勤が生じているので3連休ではない😇)



 まずは今年1年を家族全員健康体で過ごすことを第一目標とし、取り急ぎ年末年始で少し大きくなった身体を絞りたいと思います。