振り返れば、30年超勤めた職場で大事にしてきたのは、絶えず「自分だったらどうするか」と考えることだった。
自分の担当じゃない部門で起こったトラブルや客様の会社で起こったトラブルなど、目にし、耳にするたび「私ならどうするか」を考える。
ある意味、これは、仕事柄当たり前のことであり、そのおかげで乗り切れたことも多々あるし、決して間違ってなかったと思う。
だがしかし、今になって、この習慣が結構「自分の首を絞めている」と思うようになった。
例えばダブルワーク先の仕事がらみ。
複数の自治体の議会や委員会の内容を目にし、耳にするのだが、どれほど問題が山積していることか。私はただ「資料として目を通す」だけでいいのだが、つい「私だったらどうするか」を考えてしまう。そして、ベストはもちろん、ベターな解決策さえ思いつかず、それどころか「全くお手上げ」な問題が山ほどあり、お先真っ暗になってしまうのだ。
自分でも、まったくばかげていると思うのだが、「私ならどうするか」を考える習慣がどうしても抜けない。
新聞を読んでいてもそう。
ニュースを見ていてもそう。
私だったら、自民党総裁に誰を入れるか、どの党と連立を組むか、自党をどう運営するか。
トランプ大統領が来日したらどうするか。
…から始まって、
知人に「飼い猫に引っかかれてひどいケガした」旨を聞いて、私ならその猫をどうするだろう、と考えたり、「旦那が借金をしているらしい」旨を聞いて、私ならどうするだろう、と考えたり。
事故った人、病気になった人、親の介護をしている人、転職を考えている人etc.etc. そんな話を聞くたびに、私ならどうするだろう、と考えてしまう。
考えたって、疲れるばかりで、どうかなるものじゃないのに。
この習性 多分死ぬまで 治らない
鞠子