作曲家・宮川彬良さんのエッセイを読んだ。
獲物をとらえる動体視力、暗闇で発揮する暗視能力、視覚、聴覚、第六感。いずれも古代の人間は、現代の我々より相当に長けていた。超能力といっても過言でないほど、素晴らしいそれらの力を持ち合わせていた。
だが、発達し続けるデジタルのおかげで、人類はいろんな能力を失っている。
…というのは、私も全く同感だし、自分自身、ひしひしと感じている。
宮川先生は「電話番号が覚えられない」は当然、それ以前に「覚える気が起きない」と書いている。
本当にその通り。能力が衰える以上に、気力も衰えてしまっている。
そして、もう一つ、宮川先生が挙げているのが表題の「脳内検索能力」。
先生の説明によると、これは「あぁ、あれと同じかあぁ」と感知する能力のこと。
「ベートーベンは自然の摂理を謳っているのだな」「デキシーランドジャズは心から自由を謳歌しているんだ」「現代音楽は量子力学の考え方に近いな」―宮川先生が挙げたこの3例は、つまりジャンルの枠を飛び越えて「同じだ!」と察知する検索超能力であり、豊かな発想の根源にあるのが脳内検索だと言っておられる。
そうかあ、言われてみればまさしくその通りだ。
見たもの聞いたもの、その場限りで、関連付けて考えることなどしない。
しなくても、デジタルが何とかしてくれる。
なにより、いちいちそんなことを考えていたら、コスパもタイパも悪く、世の中の流れに取り残されて行ってしまう。
ところでこのエッセイ、2025年3月20日の中日新聞に載っていた。
たまたま産直野菜を売る店で、包装用に積まれた新聞紙の山の一番上に乗っていたものだった。
私はなすとインゲンを買ったのだが、どちらもすでにポリ袋に包まれており、新聞紙は必要なかった。
だが、テーマの「脳内検索能力」と副題の「スマホと共に去るな!」に魅かれて、もらってきてしまった。
貴重なアドバイスを得るための、これはきっと必然だったのだ。
世の中の あれこれ全て 意味がある
鞠子