『スロー・ルッキング』という本の書評が朝刊に載っていた。
ハーバード大学のシャリ―・ティシュマンが書いた本。
訳すれば、全くそのまま「ゆっくり見る」であり、「よく見るためのレッスン」という副題もついていた。
私自身、もうかなり前からゆっくり見れなくなったことに大きな危機感を抱いていた。
文庫、新聞、仕事の書類、チラシ、回覧板、請求書から取説に至るまで、ゆっくり見ることができないのだ。
無意識のうちに面倒くさくなり、斜めに見てしまっている。
そして、重要なことを見落とす。
書評の中に、オープン・イベントリという手法が書かれていた。
対象を30秒以上見つめてから、気づいたことを10個メモに書く。そして再び同じ対象を観察し、さらに10個気がついたことを書く。すると、この気づきが人によってかなり異なるというのだ。
書評を書いたのも早稲田大学の教授なのだが、実際授業で取り入れてみたそうだ。先生たちは、キャンパスに点在するレリーフやフレスコ画を観て回り、オープン・イベントリを行った。結果、線、色、形、触感、周囲の環境など、注目する点が人それぞれ違っていた、という。
この違いを交流し合えば、また新たな気づきが生まれてくる。
……考えてみたら、そんなこと、当たり前のことなのだが、問題は、「だからどうした」という現代の風潮だ。
コスパもタイパも悪いこんな授業をやって意味があるのか、という世の中の雰囲気。
それから、今やそれ以前に、気づきが10個書けるだろうか、ということ。
正直、私は自信がない。
音楽にしろ絵画にしろ、文学作品にせよ、「ゆっくり見る」ことができなければ本当に楽しむことはできない。
私も毎日、何かに追われている気がする。
だけど、忙しくて時間がないから、そんなことはやってられない、とは言いたくない。
毎日、わずかでもスロー・ルッキングを意識する時間が持てれば、心がうんと軽くなる気がする。
深呼吸 一息しながら 目を閉じる
鞠子