県立図書館の新刊コーナーに谷崎潤一郎の作品の大活字本が数冊並べてあった。

大活字本というものがあることは知っていたが、現物を見たのは初めて。

 

手に取って開いてみた。

なるほど、これは文字が大きい。ぱっと見、一般的な文庫本の5行分ぐらいが1ページに収まっているといった容量ではないだろうか。

ルビもふってあるのだが、当然、そのルビも大きい。

 

幸い、私はまだ裸眼で文庫本が読める。

その私からすると、この大活字本、むしろ書体が気になった。丸ゴシックみたいな書体で、結構太いのだ。おまけに、天地の空白、行間のバランスが悪いような。明朝体でもう少し字を細くして、もう少し行間を空けたほうが読みやすいのではないかと思うのだが、視力が弱い人にとってはこのほうがいいのだろうか。

 

そんなことを考えながら、『刺青』をパラパラとめくってみた。

これまで、何度も何度も読んだことのある作品だ。

だが、やっぱり、「読む」という行為の複雑さ、繊細さを痛感した。

大活字本で読む『刺青』と、これまでに読んだ『刺青』は、まるで違う作品のように思えたからだ。

あの美しい絢爛な絵巻が、全く浮かんでこなかった。

 

字が大きいからか、丸ゴシック体だからか。

確かに、文庫本で読むのと青空文庫の横書きで読むのとでも微妙に違う。

ポップ体なんかで書かれたら、また全く違うに違いない。

 

大活字本にまつわって、これは新しい発見だった。

 

 

 

 

 

 

すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。(谷崎潤一郎『刺青』より)

 

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