スイミングのサウナ(←とはいえ、60度ぐらいなんだが)にいたら、レッスンを終えたいつもの顔見知り小学生たちがやってきた。
だけど今日4人しかいない。
聞いたら、一人曰く「夏休みだから」。
なるほど、旅行とかに行ってる子がいるわけだ。
みんなもどこか行くの、と聞こうとしたら、その前に、私の一番近くに座っていた子が「私、あさってから、『オジバガエリ』に行くの」と言い出した。
ん?オジバガエリ?
次の瞬間、それは『オジバガエリ』ではなく『オヂバガエリ』、つまり『おぢばがえり』だとピンときたが、ほかの子どもたちは「それ、どこにあるの」とか「それ、何」と口々に聞き出した。
当の彼女は、それでも説明しにくいんだろう。あるいは、うかつに説明したらまずいと何となく察知しているかもしれない。ほかの子たちの質問には答えなかった。私も、どう返答したらいいか分からなかった。
「毎年、行くの」
「うん」
これで、この会話は終わった。
これ以上、私は何も言えなかった。
彼女は、スイミングで会うだけの知らない大人である私に「おぢばがえりに行く」と行った。
決して、嫌々行くという感じではなかった。
むしろ、友だちには言えないが、大人の私には聞いてほしかったのではないかと思った。そして、「すごいね、えらいね」と言ってもらえることを期待していたのではないか。
そうしたら、ほかの子にも、「おぢばがえり」を堂々と説明できた。
なのに、当てが外れてしまった。
もちろん、私には、おぢばがえりをどうこう言うことはできないし、言えるほど内容を知らないし、彼女をおぢばがえりに行かせるのはその家庭の自由だ。
だけど、このサウナの中の雰囲気は何なんだ。そして、私の何とも言えない複雑な気持ちは。
彼女が大人になったとき、自分の意思で自分の信条を決められるようにあってほしい。
これもまた、全くもって余計なお世話なのだが。
幼くも 老いても一人の 人であれ
鞠子