日本では、「はしかが根絶された」ということを、初めて知った。
私が子どもの頃は、はしかと水ぼうそうは「全員かかる病気」だった。
兄弟で、どちらかがはしかや水ぼうそうにかかると、「いっぺんにかかった方がいい」と言われ、特別隔離などせず、我が家の子供、全員かかってますみたいな状態が、特別なことでも何でもなかった。
私は、中学生のとき、水ぼうそうにかかった。
夜、洗面所でおでこがやたらと赤いことに気づき、翌日、近所の医者で診てもらったら、なんと水ぼうそう。
それを聞いた母は「そんなはずはない。幼いころにかかったことがある」と先生にくってかかっていた。
いずれにしても、はしかも水ぼうそうも全員かかるんだから、子どもの頃にかかっておけ、だったし、幼いころにかかった方が軽くすむ、だった。
思えば、ずいぶん乱暴な話だ。
運転中、聞いていたラジオで、武田鉄矢さんが、子どもの頃に利用していた食堂の話を始めた。
この食堂、激安なのだが、ここで食事をすると必ずお腹をこわす。
それくらい、不潔な店。でも、いつも混んでいたのだそうだ。
当時は、みんなお金がなくて、少々の腹痛より満腹を先にせざるを得なかったのかもしれない。
このあたりのこと、武田さんは、「野生」という言い方をした。
今よりうんと、人は「野生」だった。
これ、分かる気がする。
はしかや水ぼうそうにかかるのも、お腹が痛くなる食堂も、決してよくはない。だが、だからといってそれらを避け通すのが、果たしていいことだろうか。
いろんな意味で「野生」でなければ、そして「耐性」を身につけなければ、結果的には生きられない方向に向かうのではないかと思う。
現に私自身、心身共々、苦しいことから逃げ続け、苦痛に全然耐えられないほど弱体化している。
深爪を した日一日 一大事
鞠子