上野動物園のシャンシャンをはじめ、何頭かのパンダが中国へ帰っていった。
期限付きで「借りていた」ことなどすっかり頭から消えており、いきなり「明日、返還です」と言われてびっくりしたが、パンダファンはそれこそ返還日まで、カレンダーを一日一日塗りつぶして悲しみにくれていたのだろうと思う。
パンダの姿など全く見えないトラックで運ばれていくのに、大勢の人たちが待ち構え、涙を浮かべて写真を撮っていた。
インタビューに答えた人のなかに、一日でも多くシャンシャンのそばにいたいがために、九州だか山陰地方だかから出てきて上野動物園の近くにアパートを借りて住んでいたという中年女性もいた。
パンダのためにそこまでする……正直、アゼンとした。
だが、次の瞬間、「オマエだって、ついこの前まで、同じようなこと、してたじゃないか」と思い至った。
南朋さんや吉右衛門さん、追っかけまわしていた、ではないか。
始発で東京に行き、歌舞伎や芝居を1部も2部も観、最終で帰ってきて翌日出勤。あるいは、そのためにわざわざ宿泊する。日本全国で行われる南朋さんの芝居についていく。ほんの1時間ほどの舞台あいさつのために東京に行く。
東京に行っても地方に行っても、目的は南朋さんか吉右衛門さんのみで、他の観光地にはほぼ行かない(←というか、時間的に行けない)。
プラス、オペラだコンサートだといって、新幹線を使ってあちこち出歩いていた。
コロナ禍前、私だってそんな生活が日常茶飯事だったのだ。
パンダのためにアパートを借りた女性と私と、使ったお金もほとんど変わらなかったのではないか。むしろ長期にわたった分、私の方がたくさん持ち出していたかもしれない。
そんな私には、パンダファンの人を笑うことはできない。
ただでさえ、年と共に頭が固くなり、異なる価値観を認め難くなる。
価値観は人それぞれで、それも大きく違うのだということを、こういう機会にでも「改めて自覚」しないと、どんどん「器の小さい人」になってしまうに違いない。
コンテナの 中で熊猫 何思う
鞠子