この1週間ほど、面白くない状態が続いている。
理由は2つ。
1つは「自分はどうしたいのかがわからない」こと。その結果「諸事、何のためにやっているのかわからなくなってきた」こと。
例えば、
定年後、仕事をしたいのかしたくないのか。
「しないと(←つまり、そういうカセがないと)私は堕落するから、仕事をし続けるべきだ」「少しでも、財政的に余裕を持つには働かなくてはならない」、でも、仕事をしたいのか、と問われると答えられない。「〇〇すべき」と「〇〇しなければならない」は「〇〇したい」とは全然違う。
大げさな言い方だが、「これからどう生きたいのかがわからない」。だから、「そのために、いくら持っていればいいのか、見当がつかない」。
以前、オンラインのセミナーで「したいことを書き出し、それには〇円いると逆算し、そのために資金をためると考えれば、節約もまた楽し」みたいな話を聞いたが、その通りだと思う。「〇〇したい」という欲求が強ければ強いほど、何をするかが明確になる。
なのに私は、「〇〇したい」が見つからない。
そんな思考の絡まりにとらわれている間に、今度は、今やっていることの理由が分からなくなってきた。
例えば、
プールで泳いでいるとき、ふと「毎日、何のためにこうして泳いでいるのか」という疑問が頭の中をよぎってしまう。
かつては「歌のため」「フレイル予防のため」とか「体形保持のため」とか、明確に理由が言えたのに、今、そのどれに対しても、たいして欲を持っていない。
ならば、何のために泳いでいるのか ―― わからない。
じゃあやめればいいじゃん、なんだけど、それもまた、気が進まない。
…と、頭のなか、悶々としながら、日々を送っている。
今日など、午前中に嫌なことがあって、その悶々度合い、MAXだった。
明日、もう一つ、面白くない事柄がある。
今日の悶々度合い記録を塗り替えそうな気配大で、今から全然面白くない。
理由など 問うな自然に 生きていけ
鞠子