映画『スワンソング』 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

映画『スワンソング』は前評判が相当高く、満を持して映画館に観に行った。

 

アメリカ・オハイオ州サンダスキーの老人ホームで余生を送るパトリック・ピッツェンバーガー。通称「ミスター・パット」。若かりし頃、彼は有名なヘアメイクドレッサーだった。

そんな彼に舞い込んだ思いがけない依頼は、かつての上客である地元の名士リタ・パーカー・スローンの死化粧をすること。生前、リタは、パットを裏切って自分の店を持った弟子に鞍替え。関係は壊れたまま、今に至っている。

遺言を持って死化粧を依頼に来たリタの弁護士に、パットは断る旨を告げるも、心中、穏やかではない。結局、ホームを抜け出し、葬儀場へ。その道中、パットは懐かしい人々、店々を見、さまざまな思い出が蘇る……

 

なのだが、正直に言ってしまうと、私には「可もなく不可もなく」だった。

 

高級そうな老人ホームだし、そこにいさえすれば、安心・安全でいられる。心臓に持病があるパットは、スタッフから厳しく喫煙をたしなめられるが、それも健康で長生きするためなのだ。

だがしかし、人間はややこしい。安心、安全なら幸せか、というと、そうではない……ということを改めてつくづくと感じたが、こんなことは、前からわかっていたし。

 

葬儀場までの道中の描写も、葬儀までそんなに時間がないはずなのに、あちらで寄り道、こちらで寄り道している様子に、「間に合うんだろうか」と妙なことばかり気になってしまったり。

 

途中で出会う人々が、生きている人なのか、思い出している人なのか理解できなかったり。

 

そんなに歩けるんだったら、そもそもホームにいる必要はないんじゃないかと疑問になったり。

 

そのうち、化粧品やヘアメイク用品を万引きするシーンに「これはありえん」と思い、くわえたばこで施術するシーンに「危なすぎる」と思い、究極は、死化粧を施したリタの顔を見て「アイシャドー、きつく入れただけじゃん」とどんどん意地悪い観方になっていってしまった。

 

胸がつかまれるほどの切なさ、哀愁、人生の意味……

前評判で見たこれらのポイントは、現実世界にどっぷりつかっている私にはとっても感じることはできなかった。

パットはゲイであり、その生きづらさ、生き方も描かれているのだが、この点でもやはり「そうか、そうなのね」程度にしか理解できなかった。

 

私の頭が固すぎるのか……

 

 

 

 

 

 

 

我が脳内 しならぬ遊べぬ 余裕なく

鞠子

 

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