死ぬのは今日か、5年後か | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

職場に送られてくる金融機関の月報に、地元の大学病院のページがある。

今月号をなにげに開いたら「頭頚部がん」について、専門医が書いていた。

 

鎖骨から上の頭部~頚部にできるがんを「頭頚部がん」と言うのだそうだ。

口腔がん、喉頭がん、咽頭がん、甲状腺がんなど。

私はこれまで漠然と「口の中」と「口の奥」は別扱いだと思っていたのだが、実際は同じ診療科で治療にあたることを初めて知った。

 

金融機関の月報に載せるということは、読者は「医学に関して素人がほとんど」という認識で書かれているはず。つまり、専門用語も極力かみ砕き、わかりやすく記されているはずだ。

それでも読んでいるうちに頭が痛くなってきた。

「ロボット支援下での手術」「免疫チェックポイント阻害薬」「光免疫治療」「強度変調放射線治療」「超選択動注化学放射線治療」etc. 医師は、「これほど治療は進歩しており、治療も治療後の生活も日進月歩で前進している」というスタンスで書いている。

 

だから未来は明るい……だろうか。

 

一生懸命研究し、最前線で治療にあたっている人々には決して言えないが、最先端をめざせばめざすほど、自然の摂理に反していくような気がしてならない。

もちろん、治療法の詳細はわからないが、それぞれの名称を聞いただけで、「そこまで、もう、したくない」と、私は思ってしまう。

 

どんなに治療が発達しても、優先順位が「がんの治療」であるだけで、体に異物を入れ、切り、刺し、と、からだに対する侵襲であることは間違いない、と思う。

それも、そういう治療を受けるか受けないか、あるいは住んでいるところや資金の関係で、受けられる条件下にあるかないか、さらには治療可能なタイミングで発見できるかどうか、そして助かるか助からないか、最近、とみに「すべては運」のような気がしてならなくなった。

 

私は40代のころに重篤な病が見つかって治療したが、発見されたきっかけは「全くの偶然の積み重ね」。医師が「もっともラッキーでベストなパターン」と言ったほど、病名からは想像もできない軽微な侵襲(治療)で済んだ。

それも、今、思えば「運がよかった」としか思えない。

あのとき、一つでも偶然が欠けたら、今、私は生きていない可能性もある。

 

運命論者ではないが、私の寿命は、生まれたときから決まっているのではないか。

だったらもう、恐れても焦っても仕方がない。

今日一日、無事で楽しく過ごすしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

死のあとの 日々は誰にも わからない

鞠子

 

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