職場に送られてくる金融機関の月報に、地元の大学病院のページがある。
今月号をなにげに開いたら「頭頚部がん」について、専門医が書いていた。
鎖骨から上の頭部~頚部にできるがんを「頭頚部がん」と言うのだそうだ。
口腔がん、喉頭がん、咽頭がん、甲状腺がんなど。
私はこれまで漠然と「口の中」と「口の奥」は別扱いだと思っていたのだが、実際は同じ診療科で治療にあたることを初めて知った。
金融機関の月報に載せるということは、読者は「医学に関して素人がほとんど」という認識で書かれているはず。つまり、専門用語も極力かみ砕き、わかりやすく記されているはずだ。
それでも読んでいるうちに頭が痛くなってきた。
「ロボット支援下での手術」「免疫チェックポイント阻害薬」「光免疫治療」「強度変調放射線治療」「超選択動注化学放射線治療」etc. 医師は、「これほど治療は進歩しており、治療も治療後の生活も日進月歩で前進している」というスタンスで書いている。
だから未来は明るい……だろうか。
一生懸命研究し、最前線で治療にあたっている人々には決して言えないが、最先端をめざせばめざすほど、自然の摂理に反していくような気がしてならない。
もちろん、治療法の詳細はわからないが、それぞれの名称を聞いただけで、「そこまで、もう、したくない」と、私は思ってしまう。
どんなに治療が発達しても、優先順位が「がんの治療」であるだけで、体に異物を入れ、切り、刺し、と、からだに対する侵襲であることは間違いない、と思う。
それも、そういう治療を受けるか受けないか、あるいは住んでいるところや資金の関係で、受けられる条件下にあるかないか、さらには治療可能なタイミングで発見できるかどうか、そして助かるか助からないか、最近、とみに「すべては運」のような気がしてならなくなった。
私は40代のころに重篤な病が見つかって治療したが、発見されたきっかけは「全くの偶然の積み重ね」。医師が「もっともラッキーでベストなパターン」と言ったほど、病名からは想像もできない軽微な侵襲(治療)で済んだ。
それも、今、思えば「運がよかった」としか思えない。
あのとき、一つでも偶然が欠けたら、今、私は生きていない可能性もある。
運命論者ではないが、私の寿命は、生まれたときから決まっているのではないか。
だったらもう、恐れても焦っても仕方がない。
今日一日、無事で楽しく過ごすしかない。
死のあとの 日々は誰にも わからない
鞠子