コロナ禍なのに開催するのかしないのか、もめにもめた東京オリンピック。
他国でやっているから、感染拡大の観点はすっぽり抜け落ちている北京オリンピック。
当ブログにも何度か書いたが、コロナ禍以前から、私はあんまりオリンピックを見ていない。それどころか、回を重ねるごとに見たくなくなってしまった。たとえ日本選手がメダルをとり偉業をなしとげても、逆にあり得ぬミスを犯してしまっても、私にとってオリンピックとは、
つらいもの
だから、見ないし見たくない。
成績そのものよりもルックスで騒がれ、まるで芸能人のように扱われて余計な気を遣わなければならない選手。
おじいちゃんの使っていた食器を使ったから薬を飲んだことになってしまったと言っている選手。
ウエアが数センチ大きかったから失格になった選手。
転倒したためにチームの成績が大きく下がってしまった選手。
本当かどうか、そんなことより、ルックスも食器もウエアも、それが何なの。私はやりきれない。そんなことまでこだわらなけれならないほど、僅差、前に出たか出ないかにこだわらなければならないなんて、やっぱり私はやりきれない。
連帯責任、これもまた、大きな打撃であり、私なら、おそらく一生立ち直れない。
政治的に利用される、というのも、たまらない。あまりにもキナ臭すぎる。
オリンピックの一場面一場面をドラマティックに取り上げるマスコミにもウンザリする。
己の人生全てを僅差にかけたい人たちは、それはそれで頑張ってくれればよい。
でも、私は見ないし見たくない。
私は私で、人生を楽しむことを考える。
そんなんだから、お気楽で、ゆるんだ人生なんだと言われても、全然困らない。
めくっても めくってもまた 五輪記事
鞠子