「喜怒哀楽」がない | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

一昨日、職場で激おこぷんぷん丸と化してから、怒りの船はなかなか沈んでくれない。

別のオトコ後輩Sにも怒れて怒れて仕方がない。

怒りの原因は、「ヤツの思考がわからない」。あるいは、「たまたまわかっても、不思議なほど的外れ」であることだ。

 

なぜヤツの思考がわからないのか。

喜怒哀楽が全く見えないから。

例えば、上司に相当手ひどく注意(←正確には叱責)されても、こたえているのかいないのか全然わからない。

例えば、私が聞かれたことに答えたとき、その答えが腑に落ちたのかどうかわからない。

例えば、客先を訪問し、その報告をするとき、何を重点的に伝えたいのか(何に感動したのか・何に疑問を持ったか)全くわからない。

そして、前職やプライベートを一切語らない。触れてほしくないなら、それは理解できるし尊重する。でも、どう見てもそんな感じじゃない。そんなこと、しゃべって何か意味があるのか?そんな感じ。

 

意味があるんだよ、S君。特に前職に関しては。

前職で知りえた情報を出せ、とかそんなことではない。「自己都合で退職」に至った会社の雰囲気・人間関係・仕事内容、それらは今の仕事において、君の大きな武器になるのに、なぜそうとらえられないのか。

 

この仕事、雑談なしにはできない。極論を言えば、職場内でも対客様でも、「雑談こそ商品」的仕事なのだ。

だから、雑談のネタを探す手段を機会あるごとに教示しているが、どれ一つとして響かぬようで、全くやろうとしない。

雑談が苦手だ、というなら、1日8時間は大苦痛のはず。

だがしかし、苦痛なのかそうでないのかもわからない。

 

どうしたいのか。どうしたくないのか。何に困っているのか。何がつらいのか。何が楽しいのか。皆目不明。主張ゼロ。

ぼそぼそと何かつぶやきながら、だらだらとPCに向かい、ときどき大伸び・大あくびをする。

さりとてPC操作やITに長けているわけでもない。

唯一、残業報告書はいつも一番に提出する。「忘れるといけないから」、だそうだ。

 

ひたすら能面のまま1日8時間過ごせばお金になる。そう割り切っているのだろうか。

今どきの若い者は……という言い方は決してしたくないが、今どきの若い者は、それに耐えられるのか。

一昔前の若者である私は、それ、絶対ムリ。絶望的な毎日からとっとと逃げ出すに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

8時間 今日も「死」に向け 近づいた

鞠子

 

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