答えのない問いをどうするか | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

ラジオで、県内の中学校や高校をまわり、命の大切さを教えているカウンセラーが話していた。


「なぜ生まれたのか、なぜ生きているのか、そんなことを考えてはいけない。答えがないんだから、考えたって意味がない」


なにげに聴いていただけで、前後はわからないのだが、これ、どうなのか。

意味がないことなんだろうか。


答えがないことほど、むしろ考えてみる······私はそう思う。

それができるのは若いうちで、年とともに、物理的にも心理的にもそのような余裕はなくなる。


答えがないことを考えすぎて、自ら命を断つ。カウンセラーは、そういう若者をたくさん見てきたのだろう。考えるのはいいが、その結果、死んでしまっては元もこもない。それを危惧してのカウンセラー発言だと思うが、それでも「考えていいのは答えのあることだけ」では、大切なことが欠ける気がする。


少なくとも、私は中高時代、答えのないことをあれこれ考えざるを得ない境遇にあった。でも、それが今につながっていると思えることがいっぱいある。


それよりなにより、

世の中、「答えのないことだらけ」ではないか。







何年か  後は笑える  かもしれぬ

鞠子

 

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