マイメロディ問題 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

サンリオのキャラクター、『マイメロディ』の諸グッズが販売停止に追い込まれた。

デザインされている「女の敵は、いつだって女なのよ」「男って、プライドを傷つけられるのが一番こたえるのよ」等のセリフが、物議を醸しだしているらしい。

 

「女の敵は、いつだって女なのよ」

これが例えば「男の敵は、いつだって男なのよ」だったらどうだろう。なんとなく、これほど問題にはならなかったような気がするのだが違うだろうか。

あるいは「女の敵はいつだって男」「男の敵はいつだって女」だったらどうか。前者より後者の方が問題視されるような気がするのだが、これも間違いか?

そんなふうに考える私こそ、バリバリの偏見の持ち主だろうか。

 

それより私が問題だと思うのは、むしろ「いつだって女(あるいは男)」と十把一絡げに限定して決めつけていることだ。

 

「私の敵は〇田△子さん」 ―― これはよい(なんで敵なのかは別問題)。

「私の敵は5組の生徒」 ―― これもまあ許容範囲。

では「私の敵は1年生の生徒」―― ここになると、やっぱり十把一絡げ限定くさくなる。1年生のなかに、一人や二人、敵でない人がいる可能性が高いではないか。

 

「東京都民の敵は大阪府民」「日本人の敵はアメリカ人」「アジア民族の敵はヨーロッパ民族」―― こうなったら危険度は増す一方だ。

 

マイメロデイの母が「女の敵は、いつだって女なのよ」と言うのは、自分をこれまで痛い目に遭わせたのが女ばかりだったという経験に基づいており、彼女がそう断定するのは勝手だと思うが、マイメロディを愛する子どもたちに、「女の敵は、いつだって女だ」という十把一絡げ限定を刷り込んでしまう可能性はないとは言えず、これは危ない。

もし経験に基づいたものではなく、一般論として言っているなら、さらに危ない。

 

…などとあれこれ思ったりもするが、一方で、ここまで神経を使わねばならぬのか、とも思う気持ちも存分にある。

こういうものまで排除して、果たして世の中、成り立つのだろうか、と。

だからもし、自分の子どもがマイメロディファンだったら、私はこう言う。

 

「でもお母さんの敵は、女ばかりじゃなかったわよ。人、それぞれだと思うわ」

 

 

 

 

 

 

傷つける 傷つけられる 言葉ある

鞠子

 

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