お米がなくなった。
買い置きしたくないので、毎回2キロ入りの袋で買う。そして、だいたい2日に1度、1合炊く。そのうち当然、なくなる。で、また買う。そのつど思う。「お米2キロ、私のからだの中に入ったのだ」と。
例えばバター。
もっぱらよつ葉の『パンにおいしい発酵バター』専門。これ、1つ100g入り。買うときは、「バター100g、私のからだの中に入ったあと」ということになる。
例えばチーズ。
こちらは雪印の『6Pチーズ コクとうまみ』専門。やっぱり買うときは、6個96gが私のからだの中に入ったから、だ。
サントリー『胡麻麦茶』1050mも、『サッポロ黒ラベル』350ml×24本=8400mlも同じ。
こうして、「量が明確な食材」を買い足すたび、自分のからだに入った量をどうしても意識してしまう。
口から投入した多種&大量なものは、知らないうちに皮膚になり肉になり血になり脂肪になったのだ。そして、心臓を動かし、手足を動かし、体温を一定に保っているのだ。
なかなか感慨深い。でもある意味、怖い。
今頃ナンだけど、からだのメカニズムってすごいよねえ。
食物を全く違うものに作り替えることができるマシンなんて、他にはないぞ。その観点からも、やっぱり命はかけがえのないものなのだ、と思う。
一粒の 米が指先 足先に
鞠子