「記憶」の不思議 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

今月始まった文学講座の課題本は志賀直哉の『暗夜行路』。

何年か前に初めて読んだとき、冒頭の『序詞』部分がとっても衝撃的だったのだが、今回、再読にもかかわらず、やっぱりこの部分、すごい、と感嘆してしまった。

その理由はいろいろあるのだが、主人公・時任謙作が6歳だった時分の心中が、とにかくリアルすぎるほどリアルなのである。

 

私は子どものころ、母に対し、「今日言われたことでどんなに傷ついたか、大人になったら絶対ぶちまけてやる」と心に誓ったことがある。それも何回もあったことを、鮮明に覚えている。ただ、そう誓ったのが幼稚園児の頃か、小学生だったか中学生だったか、そこは覚えていない。さらに、それほどムカつき、心に誓ったわりには、いったい何にムカついたのか、さっぱり覚えていないのである。

 

ひとつだけ、おぼろげながらに覚えているのは、何かに怒ってギャン泣きしているとき、母が姉に「それ(←お菓子だった)やって、たらかせ」とあからさまに言ったこと。つまり、お菓子を与えれば怒りなんか忘れてしまうから、お菓子をやって黙らせろ、と、母は私の怒りを見くびったのである。

馬鹿にされた―― 私の怒りは種類が変わった。「大人になったら、絶対ぶちまけてやる」、そうかたく心に違った。だがしかし、やっぱり、ギャン泣きした理由も、お菓子がなんだったかも、全然覚えていない。

これを明確に覚えていたら、創作活動における絶好のモチーフになったかもしれぬのにと残念でならない。

 

記憶とは、不思議でなかなかやっかいなもの。強烈だから覚えている、というわけでもなければ、ごく些細なことでも鮮明に覚えていることもある。

……などと考えていたら、ふと、さっきまで観ていた『CSI:マイアミ』が頭に浮かんだ。

主人公のホレイショ・ケイン警部補。マイアミデイト署のCSIチーフ。えーっと、で、この俳優さん、誰だっけ? あれ? 思い出せない。しょっちゅう観てるのに、なぜ?

うーんと、『CSI:NY』はマック・テイラーで、あれ? 誰だっけ? あれ? あれ? 

待てよ、『シカゴP.D.』はハンク・ボイドで、これはジェイソン・ベギー。

『S.W.A.T』はデレク・モーガンで、演じているのはシェマー・ムーア。ん? 違う。デレク・モーガンは『クリミナル・マインド』の役柄で、『S.W.A.T』はホンドーだ。ダニエル・ホンドー・ハレルソンだった。

 

…などなど、記憶をあれこれたどってみたが、どうしてもホレイショとマックを演じている俳優の名前が出てこない。

観ている量からすれば、圧倒的に『CSI』の方が多いのに、なぜか出てこない。

 

記憶は本当にやっかいだ。

イライラして結局調べてしまった。

ホレイショ・ケインを演じているのはデヴィット・カルーソ、マック・テイラーを演じているのはゲイリー・シニーズ。そうそう、そうだよ。なのに何で出てこない。

これ、明日になると、今度はジェイソン・ベギーが出てこなかったりするに違いない。

これじゃあ、10年後、今の私の心持ちを書くなど、やっぱり到底できそうにない。

 

 

 

 

 

 

忘れたい ことほどほろり またほろり

鞠子

 

  

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