パチンコ屋とスポーツジム | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

東京だけでなく大阪も兵庫も、それからまさかの宮城や青森も大変な感染者数となっている。

いや、沖縄だって山形だって、深刻さは大差ない。

 

ワクチン接種も、ラジオで「離島での接種がいかに困難か」聞いた。医師が常駐していない島や、鹿児島湾から13時間もかかる島(←こんな島があることすら知らなかった)は相当困難だ。鎖国ならぬ「鎖島」すれば感染拡大などするはずない、と思うのだが、定期便で人や物が行き来する限り、完全鎖島は不可能だ。それに、ひとたび感染者が出れば、全滅さえあり得る。

 

結局、日本全国どこも大変なことになっているのだ。

ところがそれ、頭では理解できるが、理解と行動が全く別物になってしまっている ―― 先日、客様S氏と話していて思った。

 

S氏はパチンコ好き。「パチンコ屋ほど、安心安全なところはない」と言い切る。なぜなら、「換気はしてるし頻繁に消毒しにくるし、自分も手指を消毒しまくっているし、マスクしっぱなしだし、何より誰もしゃべらないから」。

言われてみれば、確かに一理ある。

「問題は資金だけ」と笑いつつ、S氏、さらに核心をついた発言をした。

 

「みんな、自分の価値基準で、安全か安全じゃないかを決めている」

 

この指摘、全くその通り。

S氏にとって、パチンコ屋は安全域なのだ。私にとってスポーツクラブは安全域なのだ。逆は成り立たない。S氏はスポーツクラブを危険域と思っている。私はパチンコ屋を危険域と思っている。

こういう価値基準の差が、感染が収まらない要因の一つだと思う。

 

ただ、S氏も私も100%安全、とは決して思っていない。心のどこかにある一抹の不安は、決してぬぐえない。

パチンコ屋もスポーツクラブも、感染しないためには「行くより行かない方が間違いなく正しい」。

そうして守りに守って寿命を尽くすか。

それもまた、全く意味のない人生······

 

 

 

 

 

守っても攻めても一寸先は闇

鞠子 

 

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