たまたま観た『相棒』再放送、人気作家&ゴーストライターにまつわる事件がテーマだった。
あらすじウンヌンより、とても興味深い観点が…
杉下右京(←言うまでもない水谷豊)が引っかかった「であい」という言葉。
「出会い」「出合い」「出逢い」の使い方で、人気作家・沢村映子(←筒井真理子さん。私、この人、好き)にゴーストライターがいるのではないかと疑いを持つ。
「であい」という言葉を習ったのは小学校だったと思うが、漢字表記は確かに「出会い」だった。少なくとも私は、正しくは「出会い」と書くのだと信じていた。ずっと「出会い」と書いてきた。
それが今の職場に勤めてから、「出合い」と書かれた書類を見つけ、書いた人に得意げに「間違っている」と指摘したところ、書き手のH女史に「対象が人なら『出会う』、人以外のときは『出合う』と使い分けている」と言われ、驚愕した。
右京さんは、さらにワープロの学習機能を持ち出し、犯罪を疑った編集者に「であい」と入力させ変換する。まっさきに「会」が出るか「合」が出るか「遭」が出るか、見るために。
日本語は世界一難しい言語だと聞いたことがあるが、漢字変換や送り仮名の付け方一つをとっても真剣に悩んでしまうことがある。
だけど例えば「であう」に関しては、私は「出会う」と「出遭う」と「出逢う」しか使わない。
H女史とは違い、対象が人だろうとものだろうと、「であう」という行為は、多かれ少なかれ対象を擬人化していると思うから、「出合う」は使わない。そこに恋愛感情を含めたい場合は「出逢う」を、望まぬ事件や事故の場合は「出遭う」を使うことにしている。
漢字を使わないのは「時」「事」「中」とか「出来事」とか。
「勉強しているとき」「読むこと」「そんななか、帰った」「できごと」みたく、ひらがなで書く。
送り仮名で言えば「おこなう」なんか迷うな。「行う」とするか「行なう」とするか。
一応、正解があるのだろうと思うが、谷崎潤一郎先生のご指摘に従って(←勝手に解釈して)そのときそのときの「見た目」や「雰囲気」によることにしている。
さて「であい」から始まったこの『相棒』。
沢村映子と担当編集者(実はゴーストライター)・育恵との、友情以上、かつ当事者しか理解しえない「愛」、果ては物を書く者の「欲」が絡まって、非常に深重い内容でした。