今日は、中日新聞顧問・主筆、小出宣昭氏の講演会を聴いた。
正しくは、YouTubeの生ライブ配信を「観た」。
この講演会、毎年地元のホテルに、玄侑宗久氏や姜尚中氏といった方がいらして講演、そのあと小出氏と対談とか鼎談といった形で行われていた。毎回、足を運んでいたのだが、今年は、主催する大興寺にて、講演者は小出さん1人だけ、少人数の聴講者のみで開催された。
やむを得ない。私もさすがに会場聴講を申し込む勇気はなかった。
小出氏の主張は、いつも変わらない。
日本の文化、日本人の感覚を様々な視点から提示しながら、非効率の大切さ、無用の用の大切さを面白おかしく説く。
なにより氏の強みは、「新聞記者時代の経験」。もちろん、知識も豊富なんだけど、この方の場合、机上で得た知識だけではなく、自分で見、聞き、文章としてまとめてきた経験が加味されるから、説得力があるのだ。
その上、ピー音続出みたく、強烈できわどいこともお話になる。
何度も聴いているので、「以前に聴いた話」も多々出てくる。
だけど、今日は、全く違った意味で聴き取ったことが2つある。
一つ目。
なまけている自分をすごく情けなく思ったのだ。
この間、コロナのせいで、仕事もプライベートも大きく変わってしまった。そのことにとまどい、気を取られている間に、自分が「めっちゃバカになってしまった」ことに気づいた。
コロナのせいにして、自分を磨くことをほっぽり出していた。
小出氏の話が豊富であればあるほど、余るほどあった時間を無為に過ごしてしまったことを思い知って すごく情けない気になった。
二つ目。
氏はもともと、「なんでもかんでもデジタル」に強い危機感を持っている人だ。同時に、アナログの大切さを熱っぽく語る。
これまでも、今日も、その主張は変わらず、とても共感できる。
だからこそ、聴きたかった。
コロナ禍、デジタル一辺倒にならざるを得ない状況下、どう生きていけばいいのか。小出氏は、どう生きようと考えているのか、を。
おそらくコロナ禍は、長期間続く。その間に、私たちのアナログ的側面はどうなってしまうのだろうか。
そのあたりはお話にならず、私としては、ちょっと物足りなかった。
生ライブ配信は、講演だけで終了してしまったが、おそらく会場では質疑応答の時間が設けられていたと思う。
きっと、そんな質問も出たのではないかと想像する。
是非、その部分も配信してほしかったな。