「美空ひばりのAI歌唱」を見た。
過去の再現ではない。このために新しく作られたらしい『あれから』(←思わず漱石の『それから』のパクリ?と思ってしまった)という曲を熱唱していた。
多少違和感はあるものの、立ち振るまいは確かにひばりさん。目をつむって聞いたら、確かに声もひばりさん。
だけどなあ。これのためにどれだけ投資したんだろう。それに見合う意味があるのか?
そういえば、漱石先生のAI講義(?)みたいなものもあったよね。
これら、そもそも、狙いがわからない。
昭和の歌姫と言われるほどのひばりさんのすばらしい歌声を、いつまでも残すため、なのかもしれない。
だが、本人がもうこの世にいない以上、どれだけ精巧につくってもの「まがいもの」だ。
じゃあ、どうやって歌声を残すんだ?
…残せない。残せないから、語り継ぐ。言葉にならないものを言葉にして、懸命に語り継ぐ。だから価値がある、と私は思う。
一方、語り継がれた側は、その懸命な言葉を理解し、解釈しようとするから価値がある、と思う。
AIで「限りなくリアル」にされたら、残される方の立場からすれば、大変「楽」ができ、「わかったような気になってしまう」と思うのだ。
だが、それは決して「本物」ではない。
『あれから』を歌うAIひばりさん、ご本人は嫌じゃないかな。
私はなんか嫌だった。
あ、でもそうか。もうこの世にはいないから、大きなお世話か。