ナミダのクッキングNo.2640 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

本日の映画鑑賞『それから』

夏目漱石の原作…読みました。
文学講座で…学びました。
三千代を挟んだ代助と平岡、3人の「絡み合う心のあや」充満の作品。その上、明治時代の知識人、高等遊民の代助の苦悩。
果たして映画化できるのか?
さて、森田芳光監督はいったいどう映画化したのか。

正直「映画化不可能」という前提で観たのだが、「意外によかった」。

よかった点その1「平岡の俗っぽさ」。
見栄っぱり。うまくいかないことを、回りのせいだと思っている被害者根性。実は小心で自分より下の者には高圧的になる…状況が悪くなればなるほど、俗っぽさが増す平岡が、見事に描かれていた。
この人、代助よりうんと「私たちに近い」と気づかされて、愕然とした。

その2「さりげなく生かされていた漱石らしさ」

代助宅の書生(←何と羽賀研二が演じている)が「○○みたような」(←○○みたいな、という意味)と言ったり、平岡が「妻〈さい〉」と言ったり、漱石がよく使う言葉がさりげなく生かされていた。
これはワクワクしたな。

その3「 映像美」
代助宅や代助実家のセットがとてもよかった。
三千代が繕った靴下を履くシーン、花活けの水を飲むシーンがなんとも美しく、思わず見とれてしまった。

だがしかし、「意外によかった」なので、不服点もいくつか。

その1「幻想的なシーン」
電車の中で乗客が手にした花火が次々点火したり、代助もどきの後ろ姿が天に向かって歩いたり、といったシーン。
代助の「言葉にならない心中」を描いたのかもしれないが、むしろ邪魔だった。

その2「キャスティング」
代助を演じるのは松田優作。
一見、全くのミスキャスト。でも、すごく作り込まれていた。「漱石の書いた代助」というより「森田監督&優作が作った代助」という感じだった。
対する三千代を演じた藤谷美和子。
こちらは「清楚な美」。当時の女性の美しさが存分ににじみ出ていて、観ていて切なくなるほどだった。
…ただ、しゃべり方が甘ったる過ぎる。三千代は弱々しいだけじゃない。芯に強いものがないと物足りない。

等々、いろいろあったが、十分楽しめた。
漱石がまた、より近しく感じられた。
無理して時間を作ったのだが、その甲斐、あった。
観てよかったわ(*´∀`)♪