今日は地元の図書館で行われた講演会へ。
『今、小島信夫をどう読むか』をテーマに、作家・堀江敏幸さんと、文芸評論家・清水良典さんの対談を聴いた。
小島信夫さん。昭和30年、『アメリカン・スクール』で第32回芥川賞を受賞された。
この作品、いつか読んだ。
英語教師たちがアメリカンスクールを見学にいく道中云々…という話だったと思うのだが、よく覚えていない。なんか変わった雰囲気の作品…その印象の方が強い。
この小島先生、書いたものを読み直したり校正したりをしなかったのだそうだ。
堀江さんとの対談を原稿にする際、「後半、小島先生が何を話しているのかわからない」と泣きついた編集者に、「堀江くんに聞けばわかるだろう」、だから堀江くんに聞け(あるいは堀江くんに書いてもらえ)とおっしゃったそうな。
すごいなあ、これ、勇気ある。
書くことを仕事にしている人なら、一言一句、気を遣って当然だ。
それを「読み直さない」「人に任せる」なんて。
で、ここから先は、完全に私の想像。
小島先生は、「言葉の力」と同時に「言葉の無力さ」を思っておられたのではないか。
何をどう書いても、読む人によって全く違う捉え方をする。時には、思いがけない読み違いをされることもある。
だから、言葉は無力。ならば、読み直しも校正も不必要。そんなことに時間をとられるなら、書く方(つまり、自分の言葉を表す方)に時間を使う方がいい――そういう思いでいらしたのではないだろうか。
だとすれば…
いろいろ考えさせられた。
もちろん小島先生の真意は、もう永久にわからないけれど。