ナミダのクッキングNo.2432 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

今日、ちょっぴり悲しかったこと…

友だちと電車に乗り、立ったままおしゃべりをしていた。
車内は、出入り口付近がかなりこみあっていたが、私たちは車両の一番端のドアにもたれ、結構ゆとりあるスペースを確保していた。この位置だと、私の左側、彼女の右側は、それぞれ「優先席表示」のある向かい合わせ4人席となる。

途中駅で、私のすぐ左に座っていた人が、降りるために立ちあがった。同時のその向こう側(窓側)のおじさんも、立ちあがった。しかしこの窓側客は、降りるために立ち上がったのではなかった。私の左腕に軽くさわり、私を自分の方に向かせたあと、自分の人差し指を口元にもっていって「シッ」と言ったのである。

そう、つまり、「うるさいから静かにしてくれ」という注意をなさったのである。

仰天した。
なにをどう差し引いても、私たちの声は決して大きくなかった。もちろんヒソヒソ声、とまでは言わないが、私も彼女も元来通る声ではないし、車内であることをわきまえた小声だったし、その上私はマスクをしていた。
これでうるさいと言われたら、それこそ耳元でささやきあってしゃべらなければならない。
ものすごく気分を害した。

…しかしあとでよくよく考えてみたら、さもありなん、と思い至ることがあったのだ。

そういえば最近、「車内で話声」なんて聞こえたことがないのである。みんなスマホに夢中になっていて、誰もおしゃべりなんてしていない。複数で乗っていても、話をしている姿はほとんど見かけない。かつては学生が乗ると「やかましい!」ということがあったが、今は全然遭遇しない。
車内は、「無音地帯」に変わったのだ。あるいはイヤホンで「自分だけの音」を聞いているのだ。そんななか、他人の声は非常に「異質で不愉快な音」なのだ。

もちろん、音をうるさいと感じるか感じないかは人によって全然違うから、私たちは「配慮してしゃべっている」つもりでも、うるさく感じたのかもしれないが。

窓側客は文庫本を読んでいた。
この人にとっては、「自分以外全員スマホに没頭している車内」の方が好ましいのだろう。
それにしても、釈然としない。同時に、いいのか、こんなことで、と思う。

ちなみに、
私の左側、彼女の右側、優先席にいた計8名、全員、「優先席に座る年齢」の人ではなかった。