ナミダのクッキングNo.2424 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

昨年、市主催の文芸祭で賞をいただいた作品をまとめて小冊子にし、手渡ししたり送ったりして100冊強がはけた。
おつきあいでもらってくださった方も、間違いなくいるに違いない。
なかには、「言ってくれればうちでもっときれいに製本できたのに」などと言ってくださった方もいる。
しかしどうにも自分の図々しさに対する気恥しさが、消えないんだけど…
 
たまたま昨日、読んだ感想やらエールやらをメール送信してくださった方がいる。
この方、大学教授、だけでなく副学長という肩書をお持ちの女性で、とてもうれしく思う反面、ますます気恥しさが増した。
さて、このいただいたメールに対する返信、なんて書こうか。
 
いろいろ・いろいろ・あれこれ・あれこれ・考えた。
考えているうちに、ふと気づいたことがある。
 
私にとって創作活動は、楽しくルンルン気分でやっているわけでは決してない。
毎回頭を抱え、出なくなった歯磨きチューブを必死に絞りだしている感じ。そこまでしても、結果、納得のいくように書けたためしがなく、悶々とすることばかり。
…だったら、やめればいい。やめたって、なんの支障もない。誰も困らない。
 
だが、ついこの前まで、この国には「なんでも読める」「なんでも書ける」という自由はなかったのだ。
どんなに望んでも、読むことも書くことも自由にできなかった時代・できなかった人々がいたのだ。
それに比べたら「出なくなった歯磨きチューブを必死に絞りだしてもいい」とは何たる幸せなことだろう。
そう考えると、創作活動に、また違った光が見えてくる。
 
…先生には、要旨そのようなお礼返信をすることにした。
電文を打ちながら、まさしく、「読んでもいい・書いてもいい」という喜びを改めて感じた。
 
で、ちょっぴりまた、やる気になった。