10連休3日目。
県図書館で行われた文学講座へ。
始まる前、企画展示室にあった県ゆかりの作家のインタビュー記事を読んでいたら、「ハラさん?ハラさんじゃないですか?」と尋ねる声が聞こえてき、ハラさんじゃない私は知らん顔して記事を読みふけっていたのだが…
声の主、私の前に立った。
え?私、ハラさんじゃないし…あなた様はどなた?…とよくよく見たら、どこかで会ったことのある男の人で…あっ、そうか!この方、O市文芸祭の審査員の先生で、そういえば私の筆名、名字はハラなんだったとようやく気づいた。(←なんたる情けなさ((T_T)))
しかし、半年ほど前、1回会っただけで、おまけに今日は全くアイメイクせずメガネ姿だったのに、よく私とおわかりになったものだと嬉しかった。
だってメイク前・後、あんまし変わらないってことでしょう。(←これがいいのか悪いのかワカリマセンが)
さらに、「他市の文芸祭に出された作品もすべて読みましたよ」云々、お褒めの言葉までいただき、気恥ずかしいったらなかった。
…という想定外の前段があったため、講座も姿勢をただして真剣に聴いた。(←なんて単純な(--;))
中で紹介された、印象的な種々。
(1)明治精神は、漱石の『こころ』の主人公である「先生」の遺書などにうかがわれるが、大正精神は、これを最も尊重し、その終焉を予測して自殺した芥川龍之介を具現者とみていいのではないかと思う。(保坂正康)
漱石自身、明治精神の中で生き、それが様々な形で作品に影響を及ぼしている…というのは、一応知っていたが、芥川の大正精神というのは、知らなかった。いや、正しくは、学んだはずなのに、ピンときていなかった、というか。
しかし、大ざっぱに言って「そこそこ・しかしかなり平和」な時代に生きてきた私には、天皇が変わると精神が変わる、その精神が自身の創作活動に影響するということ自体、実感がわかない。
(2)平成は、個人間の対立が奪われていった時代だと感じる。運動会の順位付けがなくなったり、成績が絶対評価になったり。でも人間は、自分の物差しだけで物事を判断できるほど強くない。自然に自分と他人を比較してしまう。(朝井リョウ)
言われてみれば、確かにその通りだと思う。
そもそも人間は、たえず「比較してしまう」生き物なのではないか。
過去の自分と今の自分、自分と肉親、自分と他人…いつも比べている。比べながら、喜んだり不安になったりする。だから争いも起こるのだろうが、かといって、比較することがなくなったら、生き甲斐も目標もなくなってしまう。
(3)自分を待てなくなっている(朝井リョウ)
さらにリョウさんの言葉を借りれば、「完成まで数ヵ月かかる小説より、すぐに作れてすぐに公開できて、すぐに反応が確認できるものの方が魅力的に見えて当然」。
これは私自身、すごく実感する。そして、恐れている。
まるで「待てない症候群」。いつも時間に終われているような気がして、物事に集中できないことが怖くてならない。
そこをリョウさんは、ズバリ、こう言っている。
「待てないという感覚も『自滅』につながる要素だと思う」
自滅…
そう、このままじゃ「自滅」しかねない。
それとなく避けてきた言葉だったが、一番怖かったのはまさにこの「自滅」。
しかし、対処法は何ら見えてこない。