接骨院で整体中、Y子先生が私の肩を触りながら言った。
「よく働いたんですね、ここのところ」
そうそう、もう、腰肩ガチガチ。
「こういうときって、誰かに養ってもらいたいとか思いません?」
私、即答してしまった。
「絶対、思わない。どんなに疲れたときでも、そういうふうに思ったこと、ない。だって…」
だって、養ってもらったら、相手の言うこと聞かなきゃならないじゃない。
歌舞伎だ、オペラだ、そのたびに「チケット代、お願いできないでしょうか」と頼むのは、私には多大なる苦痛だ。
その他、エステもネイルサロンもお金がかかる。文学も音楽もスイミングもしかり。
だからといって、これらをあきらめるのも、同等の苦痛だ。
「へぇ、そんなふうに考えるんですか」
・・・Y子先生に不思議がられたことが不思議で、改めて考えた。
正しくは、「そんなふうに考えている」のではなく「そんなふうに考えるようになってしまった」、だ。
家族のくびきから解放され、自由になって以来、あっという間に「こんなふうに考えるようになってしまった」。
まさしく「生活習慣思考」。「生活習慣病」と同じだ。
私のこの生活習慣思考、強がりでもなんでもなく、孤独など全く感じない。
いいのか悪いのかわからないが。
「ま、鞠子さんらしいといえばらしい考え方だけど」
「だからね…」
だから私は可愛げがない、とも言える。「助けて」「支援して」ときちんと言える人だったなら、また、今の私はなかったかもな。
Y子先生、笑っただけで、コメントなしだった。