ナミダのクッキングNo.2398 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

客様F専務が事務所にいらしった。
最近「めちゃめちゃ忙しい」とおっしゃる。
その理由は、仕事ではなく「選挙」。
選挙事務所に毎日詰めなくてはならず、仕事に支障をきたすほどらしい。
 
よほど親しい人が立候補するのかと思ったら、「ほとんど知らない人だ」と言うのでびっくりした。
よくよく聞いたら、「立候補者は近隣の人なのだがよく知らない。選対本部長(と言うのか?)が友人で、引っ張りこまれた」とのこと。
だが、選対本部長も自分も、周りを固めている人々も、選挙に関して素人らしく、要領が悪いことばかりなんだそうだ。
「だからすごく大変」と言いながら、F専務はなんだか楽しそうだった。
いや、「楽しそう」というより、「意気に燃えていた」と言った方がぴったりくる。

なぜ、「自分以外のことのため」に、こんなに一生懸命になれるのだろうか。
 
このところ、仕事で関わった人や、プライベートで関わった人の中に、「世の中のためにがんばっている」「所属サークルのためにがんばっている」「町内会のためにがんばっている」「震災復興のためにがんばっている」etc.、自分以外のことのためにがんばっている人が何人もいて、話を聞くたびため息が出た。
思えば私など、「何から何まで自分のため」でしかない。
 
守るべき家庭がないという境遇も大いに影響しているとは思うが、これまでも自分以外の人やコトのために、一生懸命になったことなど記憶にない。
逆に、私のために尽力してくれた人は何人もいて、申し訳ない気もする。
 
たぶん、だが、
自分以外のことのためにがんばっている人は、私がそうするよりも苦痛が少ないのだろう、と思う。
むしろ、そう自分を喜ばしく思っているのではないか、と言ったら言い過ぎだろうか。
 
どう考えてもこれからの人生、私が「人のために何かする」ということはありえない気がする。
最後の最後まで「自分のため」だけに仕事をし、得た対価で服を買い、好きなものを食べたり飲んだり観たり聴いたりしながら、歌ったり、本を読んだり、泳いだりするんだろうな、と思う。