ナミダのクッキングNo.2369 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

昨晩、Eテレの『100分de名著』を観た。
なんたって、ただいま夏目漱石スペシャル。それも昨晩は『道草』だった。

受講している文学講座その1は、今年一年かけてこの『道草』を読んできた。
思うところ、考えるところ、いろいろあったが、『100分de…』で伊集院光さんが言った言葉、

「健三(←ほぼ、漱石自身)が一番対処できない相手は、島田(←漱石の養父・塩原昌之助がモデル)でも御住(←漱石の妻・鏡子がモデル)でもなく、自分自身」

にものすごく納得した。

そうそう、いくら島田があの手この手で無心に来たって、毅然と追い返せばそれですむことなのだ。
しかし健三は、島田に育ててもらった思い出(よいのも悪いのも含め)や、落ちぶれた島田の姿や、いろんな思いが交錯して、スパッと切れない。

さらに伊集院さん曰く、

「100円(←当時の、ね)払い、今後一切関わりを持たない旨の念書を取っても、もっと言えば島田が死んでも、健三の心中は片付かない」
も、まさにその通りなのだ。
もし島田が死んだとしても、よし、とうとう死んでくれたか、今後、もう悩まなくて済むな…と、健三は決して思えない人なのだ。

自分で自分の首をじわじわ締める典型。

ところで、私の仕事関係の近しい中に「健三と真逆のタイプ」の御仁が数人、いる。
島田が無心に来ても、「は?お支払いする義務は全くありません」とあっさり門前払いするに違いない。
ふだんの言動に、悩みや逡巡のかけらも見られない。だから仕事が早い、早い。
これらの御仁様たちが『明暗』を読んでも、「なんなの、コイツ。ばっかじゃないの」なんてあきれ返るだろうな。

たいして変わりない長さの人生なのに、なんだかハッピーそうでうらやましい。
だけど、そうはなりたくないと思う自分もいて、私も自分の首を絞める毎日。