ナミダのクッキングNo.2337 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

昨日・今日と2日間にわたって、「ほぼ初対面」の人と、複数で打ち合わせをする仕事が入っていた。
なかには、知らない人と会うことそのものが「楽しい」という人もいるんでしょうね。
でも私は、非常に疲れる。
それなのにハタから見ると「ぜんぜんそんなふうに見えない」らしい。それはそれでやっかいなのだが。

ところで、なぜ疲れるのか。
相手に合わせることに気をとられすぎるからだと思う。

昨日の場合、相手は「マナー講師」なる肩書きの人だった。
かといって、ガチガチに気を遣わなければならないタイプの人でもなかった。
にもかかわらず、「相手はマナー講師・マナー講師……」と極度に意識すると、逆に非常に不用意なものの言い方をしてしまったりするのだ。

ちょうどそのとき、話題は「若者言葉」だった。
「やばい」という言葉は、ビジネスの上では使うべきではない…との話があり、うんうん、私もそう思う…と賛同したにもかかわらず、しばらくあとで別の話題になったとき、私は「ぶっちゃけ、お金はとられなかったんですよね」と言ってしまったのである。こともあろうに…

うわ、しまった、なんたる言葉遣い…と青ざめたが最後、急性トラウマ状態となり、スムーズに話ができなくなってしまった。
 
今日は今日で、相手は「アナウンサー」。
雰囲気はとてもフレンドリーだったのだが、なにしろ声が美しい。それから話し方がゆっくりで、言葉尻まできちんとお話しになるのである。
こういう方と相対した場合、付け焼刃で上品にしゃべろうものなら、かえってみっともないことになってしまう…とあっさり開き直ったところまではよいのだが、会議室が非常に乾燥しており、私の虚弱ノドはたちまち動きが悪くなった。声がガラガラし始めた。こうなると、かすれた汚い声が嫌で、やっぱり言葉がスムーズに出てこなくなる。
 
不用意なことを言って落ち込んだり、自分だけ話しすぎたと後悔したり、あんな言い方では絶対伝わっていないぞと悩んだり。さらには誤解されたのではないかと心配になったり。
いくつになっても「話す・聞く・書く」という大事な人生の基本行動が、満足にできない。
この2日間の様々なシーンを思い浮かべると、まったくもって疲れの溜息三昧。
 
 
 
 
 
一文に過去と未来を透かし見る
鞠子