ナミダのクッキングNo.2369 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

今日、ちょっぴり悲しかったこと…

今日は今年最後の文芸祭表彰式へ。

この市は文芸祭賞を取ると、副賞として「文学座の俳優さんによる朗読」がついてくる。
入場無料で誰でも参加できる。

そもそもこの副賞狙いで、昨年、初めて応募したのだ。
幸運にも、昨年・今年とも、朗読してもらうことができた。
おまけに随筆部門でも市長賞をいただけ、今日は2度、壇上に上がらせてもらえた。

…だがしかし、昨年も、昨年に増して今年も、ガックリした。
私の作品、どう贔屓目に見ても「下手」。
歴然たるド素人。
「その説明は不要」「そんな表現しかなかったんかい」…と、朗読を聴いているうちに逃げ出したくなってしまった。
私の小説なんかより、中学生の女の子が書いた短歌の淡い恋心、あまりのみずみずしさに、愕然とした。(←著作権の関係で紹介できないのだが)

3市で最高の賞。
今日の審査員の先生は、他市に出した作品も既に読んでくださっていた。
表彰式に出席していた何人かの方から「鞠子さんのお名前を知っていました」「他の作品も読みました」と言われた。
だけど、全然喜べない。言われれば言われるほど、切なくなる。

最近の文学講座で、横光利一『蠅』、田山花袋『一兵卒』を読んだ。
この両作品、ところどころに文法的におかしなところ、間違った文章が出てくる。
『一兵卒』など、戦地で生死ぎりぎりなのに、突然、事務的な「今いる部屋の説明」が挿入される。
でも違和感ゼロ。それどころか「残酷で悲惨」でしかなかった作品に「人間の愚かさ」という味わいが加わる。

乱暴な書きぶりなのに、ぐいぐい引き込まれる言葉の力。

あ―、もうダメだ。
限界。
自分の書いたもの、イヤ。
え?  贅沢?  お前、何様?
音楽も文学も、素晴らしい作品を知れば知るほど、聴けば聴くほど自分の不出来加減にイライラする。