JRの駅近くに、皮膚科がある。
私鉄の駅とも至近距離の、まさに一等地。
この皮膚科、院長は女性。
副院長も女性。
この御二人、偶然なのか話題性を狙ったのか、漢字は違うものの、同姓同名なのである。
さらに、
二人とも、大変「目立つ」美人。
そう、わさわざ「目立つ」とカッコ書きにした理由を察してほしい。
あちこちにある看板に、院長自らどアップの顔を載せているのは知っていた。
ところが昨日、建物の壁に、現在の院長が何年か前の院長と並んで映っている大きな看板がかかっているのを見つけた。
おそらく、「昔より今の方が若く見える!」という効果を狙っているのではないかと思う。
確かに、そう見える。
より「目立つ」美人になっている。
だが、なんだかますます違和感が増した感じがするのだ。
つくりもの。
美しい顔をつくって固めたみたい。
顔の筋肉を動かしたら、あちこちがパツパツ切れてしまいそう。
マツダセイコさんとかスズキソノコさんとかも同じ。
亡くなる前のマイケル・ジャクソンみたい。
私自身、衰えた姿が鏡に映っているのに気づいてぎょっとしたり、寝ても疲れがとれない日々にうんざりしたり、老いが怖くてならないが、それでも「つくりもの」より気が楽だ。
つくりものは、年中、なにかしらつくりかえていないと、矛盾をおこす。
永遠に手を入れていなければならない。
死ぬまで、永遠に。
だから、シワもシミも、ま、仕方ない。
院長の看板を見ながら、そのことが心底納得できた。
こめかみのシミに疲れが見え隠れ
鞠子