ナミダのクッキングNo.2283 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

週末、納骨堂に行ったときのこと。
御骨仏さまの前で、なにやらもたもたしている家族がいた。
子ども4人と両親。
1人の子どもは走り回っているし、別の子どもはお供え用のろうそくで遊んでいるし、両親は手を合わせているふうでもない。

何をしているのか。なんたる不謹慎な。
彼らは、後ろで私が待っていることを知ってか知らずか、その場を明け渡そうとしない。
かなり頭にきて、私はつかつか前へ進み出た。

…虚を突かれた思いだった。
全員、ハンディキャップを持った人たちだったのだ。

後でいろいろ考えた。
いったいどうやって生活しているのだろう。支援を受けているのだろうか。この一家は、この先、どうなるのだろう、と。

私には、ハンディキャップのある子どもたちの教育に携わっている友人が何人もいるが、みな、「彼ら・彼女らがどんなにかわいいか」「できなかったことができるようになったとき、いかに嬉しいか」を熱っぽく語り、「もう、普通学級の担任はしたくない」と言う。
ただ、「でもそれは、学校の授業の範囲だから」であり、「共に暮らす家族とは全く違う」、とも言う。

ハンディキャップのある人もない人も、普通に暮らす権利は何も変わらない。
だが、私が納骨堂で会った子たちの母親だったら… 全く自信がない。

そもそも、命あるものを育てる、という自信が全くない。
子育てはもちろんのこと、動物ですら、私には無理だ。

私には、できない。向いてない。
教育学部にいて、教育実習を体験して、そのことを痛感した。

実際、命あるものを育てることをしないまま過ぎてしまい、誰にも迷惑をかけることはなかったが、結果、人として、大事な部分が欠落してしまったのではないか、という思いもある。
 
 


この腕にみどり児抱けば心揺れ
鞠子