大学入試もピークを過ぎたところだろうか。

私の近い親戚の男の子も受験生で、レベルの高い国立大を狙っている。
彼は、一般的には「頭がいい」と言われる部類だろう。
だが、その「頭の良さ」は、今の私からみれば非常に一面的なものだ。
長い社会人経験の間には、学歴ナシでも頭のいい人、高学歴でも頭がいいとは思えない人、どちらも数多く出会った。

「頭がいい」と感じる人は、なにやら全身から「頭がいいオーラ」が発散されている。
雰囲気やら会話やら、言動すべてひっくるめて「この人はすごいな。頭のいい人だな」と思うものだ。

ではこの「頭がいいオーラ」とは何か。
知恵は肉体のどこに宿るのか。
…という疑問ズバリのテーマで、名古屋大学大学院・塩村耕教授が書かれたものを読んだ。
『上杉軍記』の中で、上杉景勝が語った言葉が紹介されている。
 
「侍はもと心の臓より思案工夫して分別するものなるゆえ、科あれば切腹申し付くる。下人は首もとにて思案するゆえ、しまりなく落ち着きたる分別なし。このゆえに科あれば首を切る」

つまり、罪を犯した場合、侍は腹で考えるから切腹で、下人は頭で考えるから斬首する、というのだ。
なるほど。
飽きるほど観たNHK大河ドラマ『龍馬伝』を思い出した。
確かに、大森南朋さま演じた武市半平太は切腹で、佐藤健が演じた岡田以蔵は斬首だった。

景勝は、頭で考えるからしまりがないし落ち着きがない、頭で考えるのは、腹で考えるよりレベルが低い、と断定している。(下人に対する完全なる差別だが)
…ということは、頭を駆使して試験でいい点をとるということも、やっぱり「そう、たいしたことじゃない」ことになる。

昔の人の方が、「頭がいい」ということを、すごく深いところでとらえていたようだ。
合格目指して懸命に頑張っている若者に水をさすよな大変申し訳ない話だが。

ちなみに私も、大学で学んだことが、今、役立っている実感は全然ない。
むしろ、社会人になってから学んだことの方が、断然生きている気がする。
 
 

 

聡明で美しくある女(ひと)の顔
鞠子