ナミダのクッキングNo.2571 | 鞠子のブログ『ナミダのクッキング』

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今日、ちょっぴり悲しかったこと…

観るつもりは全くなかったのだが、2日続けて『闇金ウシジマくん』なるドラマ?映画?をチラチラと観てしまった。

しっかり観たわけではない。
もちろん、予備知識も何もない。
山田孝之演ずる丑嶋馨が営む闇金屋を軸に、起こるさまざまを描いた作品だ。

おカネがからんだすさまじい地獄が垣間見える。
闇金、だもん。当たり前、といえば当たり前だが。

原作(マンガらしいが)で描かれている丑嶋を忠実に表現しているのかもしれないが、山田孝之は顔が整い過ぎていて、「冷徹なる能面」は、私にはとってつけただけのように見える。
付け焼刃の凄味、みたいな。
若くしてこういう商売をする丑嶋には、きっとそれなりの生い立ち、理由があるのだろうが、そんな深い心の傷が見えてこない。
 
尾崎紅葉『金色夜叉』の間貫一も、カネのために「一途な愛」を踏みにじられ、非情な高利貸しになった。
私の観た映画は、根上淳が貫一を演じたが、一挙一動に「苦渋」がにじみ出ていた気がする。
原作はより一層。
冷酷に書かれれば書かれるほど、貫一の苦悩が伝わってくる。
 
なので、丑嶋の真の怖さは感じられないのだが、それより「闇金にすがる大人」にぞっとした。
パチンコ依存とかホスト通いとか、カネを借りる理由はわからぬでもない。
それが、返済できずに追い詰められると、当たり前のように子どもを頼る。「なんとかして」と泣きつき、「体を売れ」と、実の親が言う。

こういう展開って、日本映画では「タブー」だと思っていた。
貧しさゆえ、娘を泣く泣く娼館に売る、とか、娘のために母親が体を売るとか、結果としては同じだが、そこはかとない情緒があり、そこがまた心を打ったものだ。
 
『闇金ウシジマくん』に描かれる世界は、今の日本では十分あることなのか。
だとしたら、怖すぎる。
本当に嫌な世の中だと思う。
 
 
 


金ゆえに人生狂い心病む
鞠子