またひとつ、頭の痛い事案が発生した。
次年度、町内の班長をやらねばならぬことになったのである。
輪番制だからやむをえない。だがしかし、本来なら「再来年回ってくる役」だったのだ。
本来、なるべきお宅が「やれない」から前倒しして回ってきた。
昔は、町内の役をやりたい元気なおじいさん、うるさいけどこまめに世話を焼くおせっかいなおばあさんがたくさんいた。
私たち若手(当時)は、そういう人におんぶにだっこだったし、そういう人は、町内の世話をし、子どもたちの安全な登下校を見守ることが生きがいになっていた。
利害が一致していたのである。
ところが今や、家にいる年配の人々は、家から出ない。出ようにも、近所には、出るところがない。
その上、子どもなど、どこを探してもいやしない。
災害がおこったとき、近隣のコミュニケーションが良好だと、被害が軽減する。
阪神や東北での大震災の教訓からしても明らかだ。
だが、実際問題、町内の役というのは、非常に気が重い。
なんと言っても時間を取られる。
ましてや、高齢者が独りで住んでいるお宅や、何をしているのかわからぬ得体のしれないお宅や、ときどきしか帰ってこないお宅など、各々事情がありまくりの家ばかり。
町内会費の回収や、お知らせの回覧など、どう考えてもスムーズにいきそうにない。間違いなく、ストレスがたまりそうだ。
かくいう私も、土日ほとんど家にいなく、深夜になるとにわかに電気が煌々とつく「怪しい家の人」だ。
そうそう、私には「時間がない」。
ほとんど家にいない私が、敏速に動けるわけがない。
町内の役のために、アフターファイブのあれこれを削ることは、したくない。
もうすでに、3月の総会、予定が入っていて欠席せねばならない。
班長にあたっていたお宅は、父と娘の2人家族。
2人とも、心だの身体だのに病を抱えていて日常生活すら危うく、とても班長をやれるような状況にない、ということで、とばされた。
同情すべき状況であることは重々わかっているが、でも、ずっと在宅している人たちなのだ。
灯油の移動販売日に、ポリ缶が2つ、きちんと玄関先に並べてあるのを見るたび、「それができるなら、班長ぐらい、やってよ!」と腹ただしく思ってしまう私は、「鬼」だろうか。
今となっては、せめて無難に1年過ぎますように…と祈るばかり。
その前に「平和」に感謝すべきだが
鞠子